嫌なことも楽しかったことも思い出したくありません。
前回の精神科通院で出された宿題。
今までの人生で嫌なこと10、よかったこと10。
お手上げです。
よいことだけなら書けるかと思って思い出してみても、思い出せないし、思い出せたことはフラッシュバックになっちゃってしんどすぎるし。
(何故か楽しかったことも嫌な思い出になってる)
このブログにも書いた、出産。だけは良いこと。
のはずなのに、それに伴って思い出すビジョンの中に少しでもいやなことがあると、蓋をしたくなる。
病院とか小さな息子とか、そういったことだけでビジョンが止まってくれたならいいのに、続くから嫌になる。
どうして、嫌なことをそんなに我慢してたんだろうと思うと、自分で自分が情けなくなる。
全く気がついてなかったんだからお話にもならないですよ。
被虐待児、虐待を経験してきた方理解していただけると思うのですが、嫌なことでもよいこととして心も体も覚えこんでしまうと、それがずっと続く。
何時から虐待が始まったのかなんて思い出せないのだけど、もう50年近くは経ってるのかな?
そんな50年経ってやっとそのことに気がついたのだから笑えてくる。
だけどまあ、死ぬまでに気がつけてよかった。
そのまま死んでたら苦しいだけだものね。
(意味不明ですね)
やってるほうなんてもう80歳ですよ、まだ気がつかない。
まあそのまま昇天するでしょうけど、許してあげます。
わたしの場合、親のほうはまだ先に死んでくれるからいいのだけれど(順番に行けば)まだ他にも抱えていて、それが実妹と継母。継母は父よりもかなり年が若いので、まだまだ昇天してくれそうもありませんし、妹などはわたしよりも年下なので順番制だと私のほうが先に死んでしまう!
妹も父母の影響で人間が腐ってしまったのだけど、本人は全く気がついていない。
かわいそうな気もするけどこれは現在進行形でわたしと息子の生活にかかわってくるので、なんとかしなければならない。
もう、触れたくもないのに嫌になる。
現状がこうだから、消えてしまいたいのに消えられない。
消えてしまったら息子があいつらの被害に合うから。
そんなことは絶対にさせられない。
息子が成人するまでがんばる。
し、
120歳まで生きるつもりでもいる。
もちろんピンピン元気で。
50年苦しんできたならばあと50年以上は楽しみたいじゃないですか。
多分こんなあほな性格しているから今まで疑うこともせず生きて来れたんだと思う。
そうだ。
今度の診察にこの記事をプリントアウトして持っていこう。
これで勘弁ね、せんせい。
虐待はどんなものでも早く早く逃げたほうが良い。
お母さんのこと大好きだって、逃げたほうが良い。
お父さんのこと大好きだって逃げたほうが良い。
走って逃げろ!何処までも走って逃げれば、逃げ切れるから!
昔と違って今は助けてくれるところも沢山あるから、逃げ込んで!
小さな赤ちゃんなら無理だけど小学生になれば逃げ切ることは出来る!
実はね、わたしも何度も逃げたんだけど、誰も助けてくれなかった。
いつも連れ戻された。
一番助けてほしかった人にも助けてもらえなかった。
何処に逃げたらよかったのかな?
何処にも逃げ場がないと悟ったときは本当に辛かった。
でも忘れちゃったんだよね。本当に辛かったそのときの気持ちを。
うっすらと映像でしか思い出せない心はそこにないし、幼いわたしがそこにいるだけで、どう思ってたのか忘れちゃったんだよね。
忘れちゃった。
辛かったって言う言葉だけ活字みたいに浮いているんだよね。
困ったもんだ。
せんせいごめんなさい。
みんな逃げてね。
逃げて逃げて逃げて!
ちょっとでも気がついたら逃げなきゃ駄目だよ。走るんだよ。
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最後まで読んでくださってありがとう。