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別名お花畑あたま。

魚 【第13回】短編小説の集いの一言感想

のべらっくす 感想です。

 

簡単な感想なのに、いつも1週間くらいかかってしまいます。

今回は作品も少なかったのにな~

 

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

それでは。

 

 

おいしい魚が無性に食べたくなります。

定一さんの無骨さがたまらなくかっこよくて、こんなに素敵に人物を描けるのか~と一人感嘆しておりました。

女性の強い面が描かれていてそれもわざとらしくなくてわたしの好みです。

前作とはまるで違うタッチのお話なのに、匂いやら温度やら水の冷たさや包丁の光るさままで見えるような感じるような気がして納得して読めました。

金沢も能登もいい街です。

 

フルブラックリボン思わず検索してしまいました。

ほんとにきれいで優雅な感じの熱帯魚ですね。むかしグッピーを飼っていたとき、大繁殖していろいろな色の稚魚が生まれたのを思い出しました。

水槽の音と酸素吸入の音そう言えばなんとなく似ているなあと過去を思い出したりもしました。

長女という立場の重みが伝わってきて胸がツンと痛くなります。

水槽はいいですよね。我が家には60センチ水槽に一匹の金魚がひらひら泳いでいます。

 

読み終えて真っ先に思ったのは『勉強になりました!』でした。

流れでするすると読ませる技術がすごいなあと思いました。

鮭介さんは、何かとお疲れなのでしょうか。海のものと川のもののはざまでいろいろ辛いところがあるのでしょうか。

名前の意味を考えながらそんなことを考えました。

 

おもしろかったです。

どうクトゥルフ神話風にアレンジされているかとどきどきして読みましたが、主人公が研究者として一歩進んでいくというお話で、読んでいてすがすがしさを感じました。

グロテスクな深海の主のイメージを自分の中で勝手に広げていたので、その妄想をとめてくださったのもよかった。

深みにはまると失望も大きい。納得させられるお話でした。

 

長く続く友情だけでもうらやましいのに、微妙な関係を続けてこれたと言うのがなんともうらやましい。

長い長い片思いというものは、見ていて辛いですよね。なんとかせい!と思わずはっぱをかけてしまいたくなるような…。

それにしても水族館でプロポーズイベントとは、女子が喜びそうな設定でこれまたうらやましい。(実際にそんな状況になったらわたしは逃げ隠れちゃうと思いますけど)

 

こういうお話好きです。

金魚と猫のコンビネーションがとても素敵だった!

金魚の水槽を持ち上げるなんて主人公の女性は何て力持ちなんだろうと、一瞬思いましたが、女性の力で持ち上げるくらいの水槽で金魚一匹だったらちょうどいいのですよね、我が家の金魚が一匹ででかい水槽を独り占めしているものですから…。

 

これはこれはきれいな人魚のお話。

導入部のシーンがとても印象的で気に入りました。

愛する人を刺してしまった人魚のお話、主人公がどうなるのかわかっていて受けいれるのが読んでいて好感が持てました。

瞳の中に泳ぐ魚たちを見てみたくなりました。

 

泳げたいやき君を思い出しました。(年代がばれます)

こういう奇妙な生き物と会話をするお話は読んでいて楽しいです。

鯛がくうを浮いているシーンを想像するだけで愉快な気持ちになります。

オチがふわふわとしたまさに酔っている時の目覚めのようで、これはこれでいいんじゃないかなと感じました。

 

恋愛物はあまり得意じゃないのですが、このお話はついつい読み込んでしまいました。

「深海魚になりたかった」と言う台詞がとても好きです。

人と人のふれあいを匂いなどの感覚で表現してある文章は素直に読めてしまうから不思議です。

一つの恋の始まりと終り、なかなかと素敵なお話でした。

 

今回のお話はいつもと違った不思議な空気が流れていて、深夜のバーのイメージで読みすぎているからかな?とも思ったりしたのですが、やっぱりいつものシホちゃんシリーズとちょっと違った味わいがあってこれまた新鮮でよかったです。

それにしてもシホちゃんは奥が深い、優しいのか優しくないのかぜんぜんわからない。そこらへんが面白いのですよね。

いつもと違った雰囲気を作り出している、ライオンとサメ、飲み屋の常連って儚いところがあって、そういうのもネットの海に近いものがあるのかな?などと考えていました。

 

あ自分の作品です。

グロいお話が書きたくて書いてしまいました。

書きたかったのは馬鹿な男と女の怖さ。です。自分の書いたものをあとから振り返ってアレコレ書くのは好きじゃないのですが、今回は特別。

人魚は被害者ですね。おじいさんもおばあさんもそれぞれ加害者。

影響を受けたものは、星野之宣のコミック『妖女伝説』の中の「月夢」です。あとはジブリの「崖の上のポニョ」のポニョ姉妹増殖シーン。

先に書いたように男性のいつまでも熟成されない精神面(馬鹿なところとか弱さとか)と腕力の上では男性が勝ちますが、精神力では女性のほうが暴力的である(面もある)てなことが書いてみたかったのです。

そこそこグロいお話読んでくださった方、感想まで下さった方、主催のぜろすけさんありがとうございました。

 

妖女伝説 (2) (集英社文庫―コミック版)

妖女伝説 (2) (集英社文庫―コミック版)

 

 

 

しっかり楽しませていただきました。どニッチな終末系って…!

なんともなんともすごい世界でした。コンソメスープの海って、もうその匂いだけでおなかいっぱいになりそうですね。(と言うか胸焼けしそう)

そんな世界でも人間たちの欲望ってちゃんと存在していて、人間ってすごいなーと変な風に感心しちゃいました。充分ありえそうでちょっと怖くもなりました。

 

 

 

今月のお題も出ました。(感想書くの遅すぎますね毎度ですけど…)

また書けるといいなと思っています。

皆さんの感想も、読ませていただきました。わたしと見るところがまったく違っていたり、同じだったり、一つの作品でもやはり読み手によって変化していくのだなあと改めて思いました。

 

それではまた。

最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。 

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「健忘」について認知症の検査を受けることになりました~精神科通院記録37

精神科通院記録をず~~~~っと付け忘れていました

忘れているにもほどがあるというくらいなので、タイトルにナンバリングするのはやめました。

記事を書いたときだけナンバーをつけることにします。

 

やはり夏は、体力的にも精神的にも不調な時期で、今年は特に何かをしなくてはいけないという事柄もなかったので、頭の集中度合いが極端に悪かったと思います。

 

追い詰められてやらないとならなかったことは、息子の勉強の管理だけ。

通信制の高校なので、レポート提出がありまして(それがメイン)締め切りまでに仕上げる。ということがこれまたそこそこ大変で、息子はもちろん私にとっても苦手な時間の管理をしなければならなかったのです。

昔を思い出して、数Ⅰの勉強を教えたりもしていたので(息子は小学校からの不登校で、勉強はかなり遅れていまして、特に数学は…の状態なのです)頭もまあ使っ他といえば使っていたのですけど、自分的には去年の進学を目指してあちこち駆けずり回っていたときのほうが大変だったのですが、実際に影響が出てしまったのは今年のほうが大きかったみたいです。

 

わたしの一番の問題は健忘

ほんとに物忘れがひどくて、精神科の主治医にも「認知症じゃないか」と何度も詰め寄ってしまいました。

自分の中でこの「空白の時間」が怖くて怖くて、何か決定的な理由を求めてしまいたがっているのです。

睡眠障害「過眠症」でしらないうちに眠っていて、その時間を失っている(健忘)しているのか、

解離性障害で空白の時間(健忘)ができてしまっているのか、

はっきりしないのです。

恐怖がつのり過ぎて、消えてしまいたい衝動も増えてきまして、恐怖がより恐怖になって、ほんとうにしんどかった。

 

結果として、「認知症」の精密検査を受けることになりました。

これは認知症だけでなく脳の機能的な問題があるかどうかもハッキリさせるため(具体的には腫瘍などがあるかどうか)です。

睡眠障害でかかっている大学病院で検査を受けます。

まずはじめは脳のMRIの検査だと思います。

あ、その前に簡易の認知症テストもやるのでしょうね。これは簡単すぎてクリアしちゃうのです。

 

検査は怖いという感覚よりも、何だかワクワクして好きです。

何かがハッキリするというのはとても精神的に良い。

 

いろいろ考えていくうちに、自分が何者なのかわからなくなる

人間誰しもそうだと思うのですが、何故自分が存在するのか考え出すときりがないというか、どんどん深みにはまってしまう。

生きる意味など考え出したら、意味なんてねえよ。でストップしてしまう。

とても健康的とはいえません。

こういう考えは10代で一通り考えつくしたと思っていたのですが、この年でまた考え出すとは、もうなんともいえませんです。

 

こういう裏側の自分がいて、せめて表側だけでも、わかる限りハッキリさせたいと願ってしまうのでしょう。

 

ハッキリさせてもきっと次から次へともっとハッキリさせたくなるのもわかっているのですけどね。

 

検査を待つというのはその間だけでも、考えることを据え置きできるので精神的に楽なのです。

結果が出てから考えればよいのですから。

 

そんなわけで、認知症の検査の他にも、胃カメラとエコーの検査の予約を入れています。夏場胃の調子が悪い状態だったのに、あいかわらずの甘いもの過食で、体重だけ増えていくばかりなのに、胃の状態は最悪。

消化器系の検査は12月に、地元のホームドクター的な存在の内科でうけます。

来年の夏くらいにはまた大腸の検査もしなくちゃ。

 

ほかにも婦人科系の検査もうけないと。

 

と、こんな感じですっかり検査に依存しまくっています。

まあ、その分精神的に安定してきたので、良しとしていますが。

こうやって書いてみると、自分のおバカさ加減がよくわかりますね。

 

 

認知症 「不可解な行動」には理由がある (SB新書)

認知症 「不可解な行動」には理由がある (SB新書)

 

 実際に認知症ならば若年性になるわけで、それも怖いし、気質的に脳の以上があればそれはそれでまた怖いし、というのが、近い将来わたしが陥る不安なのはわかっているのですけど。

 

 

最後までお付き合いくださいましてありがとうございます^^ 

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夏から秋にかけて、体調も精神的にもグダグダだった

すっかり秋ですね

 

しらないうちに秋めいてずいぶん過ごしやすくなりました

 

8月9月と気がついたら終っていたという感じです。

いったいわたしは何をしていたのだろう?などと考えてしまいますが、それなりに一日一日を生きていたようです。

 

家事も最低限はやっていたようです。

息子のお弁当もちゃんとつくっていました。

洗濯も毎日していたようです。

夕食も、これは不思議なのですが、以前の勘を取り戻してきたというか、食事を作るのがそう苦痛ではなくなっていました。

冷蔵庫の中のものを見て、短時間に簡単に作ることができるようになっていました。

これはわたしにとっては大きい変化。やはり食い意地がはっているからなのでしょうかね。

残念ながら掃除は、とことんといっていいくらいできていません。

TV周りの配線をいじったときに、少々大掃除をしたくらい。あとは、リビングを掃除機かけるだけ。またまたあちこちに、ブラックホールができています。(不思議な荷物の山でよくそこにものが吸い込まれる)

 

あと、ベランダガーデニング

夏場に痛んだ鉢を復活させることに成功しました。

挿し木にも成功しました。

いま水差しで増やすことに挑戦中です。

ガーデニングもだいぶ板についてきました。

秋にする作業予定も立てることができました。

 

頭の中で考えることが実現できるようになってきて、これはいい感じなのかなあとも思っています。

 

が、

 

あいかわらず、ものすごい睡眠量です。

少し調子が悪いと、4~5時間しか起きていられません。

自分の好きなことが何もできません。

かなしいです。

 

ブログもなかなか書けなくて、週に一度が限度かなという感じです。

 

まあそれでも充分なのですけど。

 

 

しゅみの話

 

あ、趣味といえば、『屍者の帝国』見てきました。

息子とふたり、初日に出かけました。

予想よりも面白くて、じわじわと後から来る良さがあります。

 

元気な時があったらこのアニメ映画の感想なども書けるといいのですが…。

いま言えるのは、この後に続いて公開される『ハーモニー』がとても楽しみだってこと。

(『虐殺器官』公開が遅れるだけで何とかなりそうな感じでほっとしています)

 

それからいま我が家では、「マスターキートン」にはまり中です。

息子が棚の置くから引っ張り出してきて読んでいたのを、わたしもついつい手にとって読み始めたら止まらない状態になってしまっただけなんですけどね。

 

もう一つ、息子のゲーム「Fate stay naight PS Vita版」(ノベルゲーム)を、彼オススメではじめまして、ベッドに横になりながら、ゆっくりと堪能中です。

ノベルゲームにはとことん読みつくさないときがすまないタイプなので、BAD ENDを思いっきり楽しんでおります。

 

息子はアニメの関係で『伊藤計劃』を一生懸命読んでいます。かなり集中が必要とかいっていますが、それはそのとおりだとわたしも思います。一気に読んでしまって二度読みするか、ゆっくり丹念に読むかどちらかですね。(わたしはせっかちなので一気読みして二度読み三度読みしましたが)

 

ぜんぜん説明もなしに、我が家の趣味の状況を書きましたが、たぶんはてなならキーワードでリンクされるはずだから、まあよしとさせてください。

 

ずいぶん前にも書きましたが、親子で家族で、一部でも趣味を共有できるのはなかなか楽しいです。

いっしょに映画も行けますしね。

 

そうそう前回は『甲殻機動隊』をみてきたんだっけ。最近アニメばかり見ているような気がしますが、今年いっぱいそれは確実かな~

 

こうやって映画館に足を運べるくらい元気な日があるのはとてもいいことです。

 

わたしは寒いほうが好きなので(調子がいいので)このまま上昇気流に乗ってげんきになれればいいなーと思っています。

 

近況のような、更新でした。

 

 

屍者の帝国 (河出文庫)

屍者の帝国 (河出文庫)

 
ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 
虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 虐殺器官の制作会社マングローブの倒産で公開スケジュールが変わってしまいましたが、楽しみにしております

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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のべらっくす【第13回】短編小説の集い 『うつくしい魚』

眠くて仕方がありません。が、何とか書き上げたのでアップします。

 

久しぶりに書いたので途中で書けなくなって、投げ出しそうになりましたが、なんとかなりました。とてもうれしいです。 

書いておいて何なのですが、かなり気持ちのよくないお話になってしまいました。

そういうお話(グロ)が苦手な方は、読まないことをおすすめします。おねがいします。

 

 

【第13回】短編小説の集い お題は『魚』

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

それではよろしくお願いします。

 

うつくしい魚

 


 むかしむかしのことじゃった。
 ちいさな海辺の村に、たいそう仲睦まじいじいさんとばあさんがくらしておった。


 村のまわりには小さな山がひとつ、その後ろに大きな山がひとつと、その右横にも左横にもぐるりとけわしい深い山々でかこまれておった。手前の小さな山では、茸や山菜や樹の実が採れ清らかな湧き水で泉ができておったので、せまい畑だが芋くらいはこしらえることもできた。

 海辺はたこつぼのような入り江になっておって、そのたこつぼの口にはいつも渦が巻いとったんじゃた。そのせいか、入り江にはいろいろな魚が流れ込んできての、漁をするのも労はいらなかったそうじゃ。

 海の幸と山の幸のおこぼれをいただいておったんじゃな。それは、生きて生活するぶんにはじゅうぶんな幸だった。


 じいさんとばあさんの家は、いかにも急ごしらえで作ったものにつぎ足しつぎ足しでひろげたほったて小屋だった。村にはほかに似たような家が数軒たっておったが、よく見ると、屋根がなかったり壁がくずれていたりと、とても人が住んでるようには思えなんだ。
 それもそのはず、村にはじいさんとばあさんのたったのふたりだけしか住んでおらんかったんじゃ。


 じいさんたちがこの村に来たころは、小さいがまだ村落、集落と
よべるほどには人が住んでおった。力のみなぎった若い衆やけんかをしつつも仲の良い夫婦もんや年をとってはいるが知恵者のじいさん、子どももにぎやかな声がはずむほどはおったのだが。


 あっという間のことじゃった。


 神さまのご機嫌がよほど悪かったのだろう。海の壁が、大きな鬼の集団が、戦のごとく怒涛のように押し寄せてきたんじゃよ。


 海辺で遊んでいた子どもたちも、その子らを叱りつつも見守りながら魚を干していた女たちも、沖から漁を終えて帰ってきた男たちも、家も、畑も、先祖の墓も、なにもかも全部、押し寄せた海の鬼たちにすっかり持っていかれてしまった。けっして手の届かぬ、遠い海の果てにみんな消え去ってしまったのじゃ。

 残ったのは、山でしごとをしていたもの、じいさんとばあさんを含めてほんの数人だけ。

 それにな、海の鬼たちがひききったあとも、悲惨じゃった。海辺の形がかわりはててしまってな。村はえぐられたような大きな痕になって、人が住めるところがほとんどなくなってしもうた。


 そこに新しく出来上がっていたのが、切り立った山々に囲まれたこのたこつぼの入り江なんじゃ。


 沖へ出るには、渦が激しすぎてとてもじゃないが手こぎの小船では無理なはなし。山を越えようとしても、足場のないような険だったがけが見あげるほどにかまえていて、よほどのつわものでさえ命のをかけずには越えられぬ。

 この村は人が出ることも入ることもできない土地になってしもうたのじゃ。

 

 残されたものはみな、子どもや孫や親やいいなづけ、大事な家族をいっぺんに失った。じいさんとばあさんには家族はおらなんだが、ちょうどそのとき、ばあさんのおなかは大きくてな、新しい命をあと少しでむかえるころじゃったんだが、おなかの中の子どもまで、いっしょに流れてしまったのじゃよ。年をとってやっとできた子じゃったんだがな。

 失ったものたちの弔いと、その悲しみの思いだけで、残されたものたちは何とか命をつないでおったが、心やからだの弱いものからひとりずつ死んでいった。

 何とかくらせるように、残されたわずかな地に家をこしらえてすみはじめたころじゃったよ。

 はじめに命を失ったのは、まだ十六のむすめじゃった。いいなづけの名を叫びながら、山のがけから海へと身を投げた。

 それがきっかけだったのか、ろくな食べ物もなかったせいなのか、からだをこわして死んでしまうもの、先の娘のように自分から死をえらぶもの、命を捨てるかのように危険を承知でけわしい山に挑むものとで、とうとう残ったのは、腰の曲がった年寄りの夫婦と、じいさんとばあさんだけになったんじゃ。


 何年かはふた組の夫婦で、まるで親子のようにおたがいを労わりながら静かにくらしておったが、年よりの夫婦が相次いで亡くなるころには、じいさんとばあさんも、すっかり日に焼けてしわだらけの顔になっておったよ。


 それからの年月はじいさんもばあさんも、自分たちが見取った年長の夫婦のように、静かでさみしい、おむかえが来るのをただまつばかりのくらしをしておったのじゃ。

 

 いくつの年が過ぎていったのか、じいさんもばあさんももう疾うに数えるのをやめてしまっていたのでわからないが、ふたりともすっかり腰は曲がって目も耳も衰えておって、おむえが来るのももうあと少しじゃとそのことを心待ちにするようになっておった。
 それでも、お日様が出ているうちは、じいさんは海で魚を釣り、ばあさんは裏山の畑ではたらいてくらしとった。


 そんな同じような毎日がつづく中で、ある日、ばあさんはじいさんのようすがいつもと違っていることに気がついたのじゃ。その違いはばあさんの心を重苦しくさせた。ふたりだけのくらしをもう何十年とつづけてきたんだ、どんなわずかな変化でも気がつかぬほうがおかしい。ばあさんが問うても、じいさんは笑ってごまかす…。


 二回ほど日が登って沈んだが、じいさんの変化はきえさらぬどころか、ますます大きくなっていく。心なしか、曲がった背が少し伸びたようにも見えるじゃないか。
 ばあさんはとうとう業をにやして、裏山の畑に出かけるふりをして、じいさんのあとをこっそりつけることにしたのじゃ。


 じいさんはいつもと同じように海辺へ出ると、そこに釣りのしかけをした。ふだんならそこらでどっしりと腰をおろすのだが、少しの間もおしむようにくるりと向きをかえ、入り江のいちばん端にある、もうぼろぼろにくずれかけた小屋のほうに足をむけた。ばあさんはじいさんに気づかれぬよう息を殺してあとをつけた。

 
 そして、ばあさんは見た。


 半分腐ったような小屋の中に、そこだけ光がさして見える。
 じいさんはほうけたような顔をしてそれをただただながめている。
 

 それは、見たこともない美しい魚。


 うろこは金色に輝き、そこからまるで光が出ているようにまわりを照らしている。

 よく見るとそこは池のように、深く掘られた穴に海の水がひかれておった。じいさんがこしらえたものだろうことはすぐにわかった。


 ばあさんはその魚に驚くと同時に、じいさんに対してわきおこった怒りの感情をふるえながらおさえ込むのに必死だった。

 ずっとずっと長い間、ふたりには共通のことしかなかった。どちらかが何かを見つけたらそれをふたりで共有しふたりで喜んだり悲しんだり感情を同じように動かしてきた。それをじいさんはうらぎったのだ。


 日が暮れるといつもと同じように何食わぬ顔で帰ってきたじいさんを見て、ばあさんはおのれの心が凍りついていくのを感じておった。

 

翌朝、じいさんはいつものように起きようとしてからだの異変に気がついた。からだがしびれたようになって起きあがることはおろか動かすこともできない。
 ばあさんは、わるい風邪でもひいたのだろうと、一日ゆっくり休むようにじいさんに告げ、おも湯をすこしじいさんにやると、そのまま作業に出かけていった。

 ばあさんは、じいさんが風邪ではないことを知っていた。なぜなら、ゆうべの飯にと体がしびれて動けなくなる茸をこっそりまぜておいたからじゃ。


 にんまり笑うと、ばあさんは昨晩から用意した道具を背にして、あの美しい秘密の魚がいる場所へと足を向けた。おのれの立てた企てを想像するだけで、口もとがにんまりしてしまう。力がいる企てだが、ちゃんとやりとげられるだろう。ばあさんの足取りは軽かった。


 

 
 うまそうな匂いが夢の中に入ってきたところで、じいさんは目がさめた。するとほんとうに家の中がいい匂いで満たされていた。
 朝方からずっと眠っておったことに気づくと、よっこらしょとからだを起こしてみた。ちゃんと起きあがることができた。どうやらしびれはまだ少しのこっているものの、なんとかとれたようだ。ばあさんの云うように風邪だったのか。


 じいさんが起きあがったことに気づいたばあさんは、鍋のふたをしめながらじいさんに飛びっきりの笑顔を向けた。
 めずらしい魚を見つけたこと、その魚が背あぶらがのって、とてもうまそうなこと風邪のじいさんのためにうしお汁をこさえたことを、口ばやに大げさに話した。


 ほら喰うてみ。ばあさんはじいさんに前にわんを置く。確かに見るからにうまそうな汁じゃ。じいさんはふうふうやりながらひとくちすすった。魚のあぶらとだしがよくきいていてなんともいえぬ味わいがある。じいさんはちょうど腹が減っていたこともあって、どんどんこのうまい魚を口にした。
 ばあさんもいっしょに、うまいうまいとたいらげた。

 おぉうまかった。いったいどんなさかななんじゃ?と問うじいさんに、ばあさんはにたりと笑いながら、まだいいもんが残ってるぞと、重そうな瓶から何かをすくってじいさんとじぶんの前においた。

 この魚おなかに子がおってな、腹さばいたらぎょうさんでてきたのさ、で、酒としょうゆで漬けてみたのじゃ、ほれ、こうやって尾っぽを持ってあたまからつるんと喰ってみ。

 じいさんは目の前におかれたものをひと目見、目をこすってもう一度しっかりと見なおした。

ばあさんはわらいながら二ひき目をほおばっている。

 うまいぞ、じいさんも早く喰うてみ。小さなかしらが口の中でくしゃりと割れて口の中に味噌が広がるぞ。あぁそうじゃ、こっちのおかしらはどう料理するかのぉ、何ともおもしろい形をした魚だよ、これは何というんだろな、ほら、こんな形をしたおかしらぞ。ばあさんは、じいさんの目の前で、皿にかけてあった布巾をさっととりのぞいた。


 そこには若いうつくしい女の首がのっかっていた。

 黒いしなやかだった長い髪は、散切りにきられ、目は閉じることをゆるさぬよう、まぶたの上を楊枝でさしてあり、見開いたままの目はまさに魚の目のように、まっすぐこちらをむいていた。


 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああっ


 じいさんは何が起こったのか、やっと悟った。

 ばあさんが料理し、先ほどまで喰ろうておったものは、じいさんがたいせつにめでていたあの金の魚だった。
 じいさんを魅了して離さなかったあの半人半魚。

 あの美しいじいさんだけの人魚……。
 

 じいさんの心臓はそのとき鼓動を止めた。


 
 ばあさんは、じいさんが死んだのを見て、けっとつばを吐いた。悲しみもあわれみもましてや罪の意識も感じなんだ。
 人魚をさばくのはたいそう骨がおれる仕事じゃったが、ばあさんはやりとげた。村には言い伝えがあったのじゃ、人魚の肝を喰うとわかがえるという人魚伝説。
 それを半信半疑でためしてみたら、手を真っ赤に染めて手づかみで喰らっているさなかから、おのれの変化に気づきはじめた。目がみえる。真っ赤で汚れているが手の皺が消えていく。口から血を滴らせながら腹のそこから笑いがこみあげてくるのを抑えることができなんだ。


 企てどおり、いや企て以上に簡単にじいさんはくたばってくれた。

 

 ばあさんは気づいていたのだ。海のようすがかわったことを。もう何十年か前にここを襲ったあの鬼のようなつなみ。あれがまた来ようとしていることを。

 まっすぐになった腰にあの人魚の肉を塩漬けにしたものをたくさん背負って、ばあさんは山に向かった。

 山を越えようとは今まで一度だって思ったことはなかったが、今は違う。命を落とさずに越えられそうな気がする。

 

 ばあさんはしっかりとした足取りで、山を一歩一歩ふみしめて登っていった。


 ばあさんの予想通り、村にまた海の鬼たちがやってきて今度こそすべてをさらっていった。じいさんのなきがらも、あの人魚の頭も。そして、酒と偽って海水に放しておいた稚魚たちも…。きっと元気で海へと帰っていくだろう。

 

 はなしはこれでおしまいじゃ。


 何ばあさんがどうなったかだって?

 ばあさんはこのあと何年も何十年も何百年も生きつづけたさ、人魚の肝を喰ろうたからな。ただ、海をきらってけっして近づこうとはしなんだそうじゃ。

 そうさいごにばあさんを見たのは、先の戦争じゃったそうだ。あのぴかっと光る爆弾にやられてしもうたという噂を聞いたがの。その話もなにも、ほんとうに人魚の肉を喰ろうたのか、そもそもばあさんがいたのか、ほんとうのことはだれにもわからんのじゃよ。

 

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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祭り 【第11回】短編小説の集いの一言感想

20日も過ぎて次のお題も出ていますが

 

 あいかわらず頭がカランカラン音がするくらい鈍りきっていますが、ちょっとがんばってのべらっくすの感想(一言ですが)書いてみようと思います。

今から読むので一日では仕上がらないだろうなー。でも何とか全部の感想を書いてみます。

 

一言感想(まともな感想がかけないので、自分の気持ちをそのまま書いています) 

 

楽しく読ませていただきました。11回こちらのほうを先に読んでしまい、あわてて10回のほうも読みました。両方読んでリアルな世界とファンタジーな部分と交差しているのがわかりました。マナちゃんは素直すぎているというか面白い性格ですね。お祭りの屋台の中でもりんご飴は何だか特別感があってビジョンが浮かびやすくてよいと思いました。

 

 夏の夜のお祭りと言うとやはり不思議な世界とのつながりを感じてしまいますね。

ラストまでの道のり、とても怖くてグロテスクな想像をして読んでしまいましたが、主人公の草太くんがとてもやさしくて、ほんのりとしたいい物語に仕上がっていて気持ちよかったです。

 

導入部がやたら気に入ってしまい、何度も読んでしまいました。

現在と過去。中二という特別な時間は止まったままとどまっているのでしょうか。そこに共感してしまって、ちょっと苦しかったです。15年の年月、人はこうやって現実と折り合いを付けていくのでしょうか。とても好みな短編でした。

 

小説における名前って大切だなあと気付かせてもらえました。

さわやかでなかなか素敵なメロスでした。

細かな描写ではないのに、朝の風景がとてもはっきりとイメージできて一気に世界に入り込めました。

反面お祭りのイメージが主人公の気持ちと重なってか、あまり浮かばなかったのは作者の作戦でしょうか?いろいろいい意味での気になるところがあってとても興味深く読み込めました。

 

雰囲気で一気に読まされてしまいました。

タイトルの意味とか、登場人物の設定とか、あれこれ面白かったです。

ふと、ちゃんと読めてるのか不安にさせられるところも面白かった。

一番気に入ったのは、ラスト少し前の「自分専用の誰かではない」この思考がたまらなくいいな。

 

 素直に面白かった。

「祭りおじさん」と言うキャラクターどういう発想で生まれたのか知りたいくらい。

人と人が交差するのって互いに行き違いながら、どっかで繋がっていたりするのかなーなどと思う読後感でした。

 

小説の形ってこだわるべきなのかこだわらなくてもいいのか。この作品は大成功例だと思います。正直言って夢中で読んでしまいました。PCモニターで、スマホで自然体で読めちゃうという読者の状態をうまく使った作品。

遠い昔、星新一ショートショートに驚いたときの感覚を思い出しました。

 

 こういうお話大好きです。(頭の中で諸星大二郎のマンガを浮かべて読んでしまいました)

ストーリー的には唐突さがあるものの(だから面白いのですが)ぐいぐいと不思議な感覚が押し寄せてきて、読み進めずにはいられないのがすごいと思いました。

 

この作品、もっと長く読みたい。5万字くらいでもいい。ありとあらゆる現象をたくさん読みたい。

と言うのが素直な感想です。

これぞテーマ(お題)「祭り」を生かした作品だと作者の発想力に驚きを隠せません。

 

お祭りでカップルになるっていうのは、ほほえましいですよね。このお話は、その先の関係が崩れていくさまから、もう一度スタートすると言う流れで、うらやましいくらい縁のあるカップルなんだなあと、遠い憧れのような気持ちで読みました。

いろいろな障害を乗り越えると言うのは、人として大切なことなのかもしれませんね。

 

神社のちょっとした不思議と、お祭りと、焼きそばと、楽しく読み終えました。

夢の中に匂いが進入すると言うのは、楽しいものですよね。それが好きな食べ物のにおいならなおさら。

主人公とお兄さんの関係が程よく描かれていて好感が持てました。

 

うわ~っ!というくらいこの作品好きです。

わたしの中にあるある種の執着が形になっていると言う驚きで少し怖いくらいです。

この種の内容を描くのはかなり難しいと思うのですが、祭りの中に妖しさが溶け込んでいてすらすらと読み終えることが出来ました。変なところで「祭り」ってすごいなあと感心してしまいました。

一般に受けるかどうかは別として、わたしの中では今回、ダントツで好きな作品です。

書いてくれてありがとうございます。

 

図書館と九月一日。予想は的中しましたが展開は想像と違っていてすぐに引き込まれました。

仕事をやめたケンジが、何だかいい男になってて「ふ~~む」と思いました。

シホちゃんはあいかわらずで、何故かほっとしました。

(時間軸が現実と一緒に動いているとして…)

二学期の始まりは何かを抱える子どもにとってはものすごいストレスなのは確か。まだ十年そこらしか生きていない、まだ少ししか世界を知らない子どもたちにとっては、学校と言う入れ物は「絶対」となって押しかかるから。

ケンジの言葉はシンイチ少年の「絶対」を変化させてくれたと思います。

民間芸能の使い方が自然でとても面白かったです。

 

心に痛いお話でした。

大人の都合で弄ばれる子どもはいつだって大人を意識して生きてしまいます。

本当の母親だからと言って、子どもにとって安心できるかと言えばそうじゃないことも多々ある。

優羽ちゃんは母にも父にも継母にも捨てられた子ども。再びつないだ手を放さないように、少しでも優羽ちゃんが安心できるお母さんになってくれるといいな。

それにしてもひどい大人たちだ。

 

スッキリ安心して読ませていただきました。

よその地のお祭りというものはそれだけでなんとなく疎外感を感じるもの、たとえ観光地化していてもそんな気分になってしまったことを思い出しました。

作品の内容から外れますが、写真を撮ると言う行為はそこにあるものをそのまま写すものだから、何故か気軽に写真を撮れない自分がいます。これは一種の現実逃避かもしれないけど、この作品のように見えない何かまで写ってしまうからかもなどと思ってしまいました。どこか違う世界と世界が繋がる瞬間を写してしまうかもなどと。

 

 

感想を書き終えて 

この「祭り」というお題、まったく微塵もお話が浮かんでこなかったわたしとしては実に刺激的な集いでした。

「祭り」一つでここまで多様な作品が集まるのって、とてもすごいと思いました。

作者さんみなそれぞれの感性で作り上げた作品。どれも印象深いです。

 

それにしても、簡単な感想を書くだけなのに、書き始めてから1週間かかってしまいました。それでも何とか参加作品きちんと読んで、簡単ではありますが感想を書けて良かったです。

 

今チラッと、今月のお題を見てきました。「魚」とは…。

はじめに脳裏に浮かんだのは、食することの魚、つまり魚料理。どれだけ食い意地がはってるんだと…。

少し調子付いていますので、このまま一気に書けたらいいなと思っています。

眠りながらプロット練ります。

 

さて、感想を書き終えたので、ほかの方の感想や作者さんのふりかえりなども読んで行きたいと思います。

ほかの方はどんな感想を書かれているかも楽しみの一つです。

 

さいごに、

なかなか参加できていませんが、自分でまがりなりにもお話を作り上げると言うのは、自分の中のものを整理するチャンスでもあり煮詰めるチャンスでもあるなあと。そして何より、自分の書いたものを誰かが読んでくれること、感想を書いてくれることって、とてもとても自分にとって嬉しいことなんだと、知ることができました。

主催者のぜろすけさん、参加者の皆さんありがとうございます。

 

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

あ、一周年企画もありますね。ここに書きたいこと書いてしまいました。

 

 

 

 最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。

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