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別名お花畑あたま。

学校は身体や心を壊してまで行くところじゃない。

9月になりました

二学期が始まりました。

我が家の息子も早起きして無事登校しました。ちなみに朝の4時に起きていました。(緊張のためと思われます)

 

9月1日。

子どもの自殺が一番多い日。

 

長い夏休みのあとの学校の開始日。

学校に対して、あるいは家に対して、友だちに対して、クラブ活動に対して、「何か」ある子たちにとって、夏休みの終了はある種の苦しみが生まれてくる。

 

わたし自身も息子も、不登校経験者なので、そういったちょっとした苦しみが複合されて大きく膨れ上がることを体感している。

もちろん人それぞれの苦しみがその数だけあって、その苦しみは本人しかわからないものなのだけど、はじまりの日の苦しみは共通のものがあるかと思う。

 

親としてできること

それがいつはじまるのかは親が予測することなど無理なわけだし、それを要求するのは残酷すぎる。

子どもの変化はとても複雑だから、すべてを親が見守ることなどとてもできることではない。

 

親ができることと言えば、子どもがヘルプを出しやすい環境を作ること。

年齢によっては、それを受け止めるのは親では難しい場合は、ほかの道をきちんと知らしておくこと。

 

そして何よりも、小さな声でのタスケテをもきちんと拾い上げること。

ちゃんと聞くこと。

余計な口を挟まないこと。

じっと受け止めて、子どもがどうしたいかを理解すること。

心が壊れかけていて、あるいは年齢が低くて、どうすればいいのかわからない場合は、親がいっしょに考えてあげること。

 

せねばならないを捨てること。

 

学校へ行きたくなければいかなくてもいい。

宿題ができてなければできなくてもいい。

先生が嫌いだったら嫌いでいい。

いじめられたら我慢しなくてもいい。

 

常識を捨てて、子どもと一緒に考え何をするか決める。

 

不登校を選んでもいいんだよ

親がそう思っても、子ども自身が

 

「学校には行かなければならないところ」

「自分だけ学校に行けないなんて、みんなと違ってしまう」

「勉強がおくれてしまう」

 

と思い込んでいたら、それをほぐしてあげることも親ができることだと思う。

 

「いまは心が怪我をしているから、まずゆっくりなおそう。」

この言葉を息子によく使った。

学校を休んでいる間に、学校との交渉をし、その学年は全部学校に行かないことにした。

 

息子にとっては、どこかで「学校に行かなければ」と言う心もあったかもしれない。

行かなくてもいいを納得してもらうために、少しでも気が楽になってもらうために、学校のある日にある時間に通院やカウンセリングの予定をどんどん入れた。

これがあると大手を振って学校を休める、という太鼓判みたいなもの。

 

ほかにも休んでいる間に、いろいろと予定を入れて、映画に行ったり遊びにいったりもした。

親と一緒に出かけているのだから、誰にも怒られることはないし、誰の迷惑にもなっていない。ということで。

 

息子の不登校は何年も続いたので、彼自身の中で、ここまでがんばればOK、この理由で学校に行かないのはOKというものが出来上がって、年齢と共に成長と共に、ゆっくりだけれどちゃんと階段を登っていった。

 

逃げることは悪いことではない

逃げたら負けでもない。

逃げたら普通じゃなくなるわけじゃない。

逃げたら人生負けじゃない。

そもそも人生に勝ち負けはない。

 

子どもには逃げ場は必要。

それが家庭にあればいちばんいいのだけど、そうじゃない家庭環境もある。

だからこそ、子どもを守るための場所が本当に必要だとつよく感じる。

 

そして、次のステップにどうやって進めばいいのか、これを一緒に考え実際に行動に移せることもとても大切。

 

ゆっくり回復するまで休ませるだけでは、子どもにとって先が見えない未来は不安を生みやすい。

一つずつでいいから具体的な行動を(変化を)実行できる知恵と能力つまりは大人の力が必要。

 

少しずつ一歩ずつでも自分に変化があれば、子どもの不安は少なくなると思う。

 

 

さいごに、ありのままの子育て

わたしはこの「ありのままの子育て」に強く賛同している。

 

息子の場合ASD(自閉症スペクトラム)と言う発達障害を持って生まれてきている。

不登校の原因になった事件は小学二年生の時に起こり、その後しばらくは精神的に不安定が続き、ひどいありさまだった。

 

人とのかかわりが苦手とか、感覚の過敏があるとか、そういった、発達障害の特徴だけでなく、息子自身の性格をも含めて「ありのまま」を意識して子育てしてきた。

世間一般から見たら、甘やかしすぎであり、過保護であり、将来のことを心配されたりだったけれど、それでよかったと思っている。

 

息子の心が回復するのをゆっくり待ち、息子の伸びしろに合わせて次のステップを踏んでいく。

この繰り返しの子育て。

必要以上の無理はさせない。(必要な無理はもちろんがんばってもらう)

 

具体的なところで行くと、小学校は学校に行くときは必ずわたしが同行していた。はじめのうちは、教室の後ろでじっと立っていた。それが、教室まで送り届ければOKになり、下駄箱まで出OKになり、校門まででOKになった。

中学は一人で登校した。遅刻をしたり早退したり、もちろん欠席も多かったけれど全部一人で登校した。わたしは一度も付き添いで登校したことはない。

目指す高校(通信制のサポート校)に合格して、はじまってからは、自分で体調の管理をして、朝から行ける時は一時間かけて、バスと電車を乗り継いでもちろん一人で登校している。遅刻しても同じ、バスと電車で登校。

まだ朝から最後まで一週間続けて登校することはできないけれど、自身の体調に合わせて、上手に登校していると思う。

 

ありのままの子育てだからこそ、無理をさせなかったからこそ、ここまで自分の力で成長できたのだと思う。

 

学校が苦しい家庭が苦しい友達が苦しい。何かで苦しんでいる子どもたちも、このありのままを意識すると楽になると思う。

親御さんには、もろ手を挙げてお薦めしたい。

無理をさせず、体が大きくなると服や靴のサイズを大きくするように、心の成長に合わせて次のステップを用意していく。

 

嫌でも人間成長していきます。

自分に無理をしない、子どもにも無理をさせない。

それってとても大事なことだと、わたしは思います。

 

 

 

 

cycle-japan.com

 

 

 

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 すべての子どもたちが辛い思いをしなくてもいいような世の中に…。

ありがとうございました。

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