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別名お花畑あたま。

虐待と第四の発達障害

 

わたしは自閉症スペクトラム

精神科の主治医にDID(解離性同一性障害)と言われてしまってから、時々考えていたこと。

わたしは本当にASD(自閉症スペクトラム)なのか?ってこと。

一説によると、子どものころ虐待や過度の機能不全家族の状態で育つと、自閉症と同じような状態になる。と言うもの。

卵が先かニワトリが先かのお話みたいなのだけど、そういう話を読んでしまうとやっぱり悩んでしまう。

もう何年か前の本なのだが、

 

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)

 

杉山登志郎先生のこの本。2007年の発行もう7年もたつのですね。

この本の内容で苦しんだり悩んだりした人は結構多いのではないかと思う。やっぱり強烈だったから。

発達障害の子を持つ親御さんはもちろん、発達障害の当事者も。

 

この本を読んだときはまだ、自分の親からの虐待についてほとんど思い出せず、精神的な虐待と思われることだけの記憶だった。

それが今では怖いくらい肉体的にも精神的にも受けていた虐待の数々が浮かんでくる。もしかしたらわたしの心が勝手に作り出した記憶なのかもしれないが、それは確かに今のわたしにつながっていて、今のわたしを苦しめている。

虐待を受けた子どもがなる第四の発達障害

もしかしたらわたしはそれじゃないかと思えてくる。

 

もしかしたらの繰り返しになってしまうのだが、もしかしたら発達障害ASDだったから、親から虐待されたのかもしれない。頑固な子だったという記憶はあるから。

わからない。

わたしは過去にとらわれすぎているのかもしれない。

でも、考えずに入られなくなっている。

 

 ウェクスラー式知能検査

自閉症スペクトラムの診断の多分大きな目安になるだろう、WISCやWAIS*1の単純な結果としてはわたしよりも息子のほうが自閉度は高い。だが、実際の暮らしとなると、わたしの方が息子よりも自閉度が高いように思える。彼のほうがずっと普通の思考が出来るのだ。

これは今わたしが患っている疾病によるものかもしれないが、気になることの一つ。

多分わたしは自分のアイデンティティを必死で求めているのかもしれない。

現実というものから非現実の世界へあまりにも簡単に移行してしまう自分が怖いから。

ASDだという自己は、わたしが一通り苦しみを経て出来た一つのわたしであり、それを少しでも否定されるものが現れると不安の渦に飲み込まれてしまう。

上記の第四の発達障害だ。

 

ASD(自閉症スペクトラム)の二次的障害として解離性障害はどのくらいあるのだろう?幼児の頃からの虐待となると、第四の発達障害かもともとの発達障害かはっきりすることはかなり難しい、というよりも現在成人だとほぼ無理なんじゃないか?

すると悩むだけ無駄というもの。

今の状態を少しでもよくするためのことを考えたほうがよほど建設的である。

のはわかっているのだけれど、気になって仕方がない…。

第四の発達障害を提唱した杉山先生をついつい呪いたくなってしまう。

 

それでも、今を生きていくために過去ばかり見るのではなく、今をちゃんと見ていたい。どうしたら今、この時、現実を見つめ続けることが出来るのだろう。

次回の診察で主治医に聞いてみようかな。

そうしよう。

自分としては、

ASDとして生まれ、機能不全家庭に育ち、肉体的虐待と精神的虐待を受けた被虐待児であった、現在うつと、解離性障害に悩まされるパートのおばさん。

で、○なのだと信じよう。

 

 

 

 

 

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最後まで読んでくださってありがとう。感謝です。

 

 

もしよろしければ、この書籍の発行時に私が書いた記事があります。

ASDのお子さんをお持ちの親御さんに読んでいただければうれしいです。

第四の発達障害・・・子ども虐待について考えてみる1: ファンタジーがいっぱい!!

しつけと常識〜子ども虐待について考えてみる2: ファンタジーがいっぱい!!

*1:ウェクスラー式知能検査の種類。この検査で発達の凸凹具合を見ることが出来る 参考サイト

ウェクスラー式知能検査 (Wechsler-Bellvue Scale) | 臨床心理学用語の樹形図