時間は螺旋のようでもあり、階段のようでもあり、広い海原のようでもある
わたしは時間の概念がとても曖昧
これはASD(自閉症スペクトラム)の特質なのか、解離性障害の影響なのか、それともただ単にだらしないのか。
自分ではわからないのですが、とにかく、体内時計というものがわたしにはありません。
数分はおろか、数時間の感覚も実際の時間と大幅にずれています。
時計を見ないと、ほんの少しでも社会生活は営めないと思います。
日が出ていたら日中、日が落ちていたら夜。
というくらいは、目で見てわかりますが、窓のない部屋に閉じ込められたり、閉じこもったりしたら、きっと昼も夜もまったくわからなくなると思います。
だから、人との約束事にはタイマーが必須なのです。
時々タイマーがなっても、その意味を思い出せないときもあるので、なんとも情けないですが、わたしの中には時間がないような気がするのですよね。
心臓の鼓動を数えたり、吐息の回数を数えたりすれば、時間の経過はわかりますが、それこそ、何も出来なくなってしまうので、さすがにやりません。
フラッシュバックや夢の中では
過去のことが鮮明に脳裏に出てくるフラッシュバック。
これが起こる時は、わたしの時間は、今じゃなくて、その時の時間に移動しています。
過去に体験したこと(あるいは上書きされたこと)の時間に存在するのです。
夢も同じ。
過去の夢だろうと、まだ見た意見の未来の夢だろうと、今のわたしは、今にはいません。
自分の頭がみている(表現している)世界、時間に、います。
この意味理解してくださる方、どのくらいいるのでしょうか?少し気になります。
フラッシュバックのことを良くタイムスリップと表現します。
まさにそんな感じですね。
PTSDのある方や、ASDの方はきっと、理解していただけると思いますが、普通の方はどうなんでしょう?
ちゃんと、「今」を把握して生きていられるのでしょうか?
時間は螺旋のようでもあり、階段のようでもあり、広い海原のようでもある
時間について手軽に調べてみようなどと考えてはいけなかった…。
わたしがネットで調べられることといえば、哲学のさらっとしたおさらいはまだしも、ほとんどがスピリチュアル系がこれでもか~って出てきて、もう少し科学的なところでのわかりやすいものがないかとがんばったけどわたしの検索力では限界でした。
お花畑頭のわたしには、スピリチュアルな考え方は親和性があるのだけど、根っこが苦手なので、真面目に読みたくはありません。
(20代のころはまった時がありましたが、何よりも、大地に足を付けて生きることを大切に考えねばダメだと思って、さよならしました)
わたしが時間に感じるイメージは、幾度も繰り返しているけれど決して同じではない螺旋のようでもあり、登っていると思ったらいつの間にか降っているそんなことを繰り返している階段のようでもあり、どちらを向いて泳いでいいのかわからない、どれだけ泳いでも同じところにいるような、広大な海のようでもあり…。
よくたとえられるような、川の流れのように、過去から未来へ、あるいは未来から過去へ。
のイメージには程遠いのです。
ここまで書くと、頭がだいぶいっちゃってると思われるでしょうが、これは子どものころから続いている感覚であり、わたしがなんとか捉えられる時間のイメージなのです。
寝て起きたら自分が大きくなっていた
これは子どものころの話。
気付いたら寝ていて、起きたら自分が大きくなって(育って)いたのです。それまでにあった自分とは違う自分になっていました。
ビックリしましたが、子どもが大きくなるというのはスピードが速いというからそんなもんだと思っていました。
いま思うと、たぶん、数年解離していたのではないかと想像つきますが、本当のところはわかりません。
自分の中で時間がすっぽりぬけて、身体の生物的な時間だけが過ぎていった感じです。
そう、これだけはちゃんと感じることが出来ますね。
間違いなく年々老いていっています。
生物としての変化がわたしにとって一番わかりやすい時間ですね。
さいごに解離について
書く予定ではなかったのですが、最近twitterで「お子さんの解離」の話を複数目にします。
いずれも発達障害のお子さんです。
杉山登志郎先生が、虐待と解離の話は本*1で書いてらっしゃいますが、虐待のない環境での解離症状については発達障害関係の臨床や研究、いまどんな風になっているのでしょうか?
とても知りたいところです。
わたし自身の解離は、あきらかにわかりやすい虐待と機能不全家庭で育っていたがゆえなので、たとえば、学校でのいじめや、教師の間違った指導で解離が起きてしまう、そもそも発達障害を持つ人は、解離が起きやすい神経的精神的な何かがあるの、とても気になります。
たぶん、いま高校生になった息子も、小学校二年生のときの教師の間違った指導で、精神的にとても不安定になり、結果学校に行かなくなったのですが、数年後に気がついたことが、その当時の記憶が嬉しいことも含めて彼には存在しないということ。
もしかしたらそれも解離だったかもしれないなあと。(子どもの解離は成長と共におさまってくるのかもしれません。解離関係の書物でも思春期を過ぎれば徐々におさまってくるとあります)
いまはそんなこと微塵もないので、安心していられますが、発達障害者が解離がおきやすいというデータなどが出ているのなら、将来も起きる可能性が高いということ。
普通の二次障害と共に、予防を気をつけていかねばならないことかもなあと思ったわけなのです。
ちなみに、わたしの解離は、特別な刺激がない限り、現在はおさまっています。
ただトリガーへの反応が敏感すぎるので、忘れた頃にちょこちょこ起きていますが、大きな問題や長時間記憶を失うことはなくなっています。
*いい年をして、まだ解離とお付き合いをしているのはなんともいえないのですが、それがわかってからまだ二三年しかたっていないので、自分の中で良しとします。
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最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
*1:amazonへのリンクです 子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス) 他