夢の中の感覚・明晰夢そして現実
非器質性過眠症と診断されて
過眠症のお薬(モディオダール)を服用するようになって、ダラダラと眠る回数が減った。
その結果、ダラダラと夢の続きを見ることも減った。
わたしの夢は基本的に明晰夢で、夢を見ている自覚がしっかりとある。
そのお陰で、ひどい悪夢を見ても何とかクリアできるように夢を構築することもできる。
(もちろん夢なので、その内容はむちゃくちゃだけど…。)
ダラダラ寝が減って、ダラダラ夢が減ったお陰で夢の一つ一つの内容が濃くなってきたような気がする。
下手な逃げ道がなくなったせいかも。
夢の中の感覚
線維筋痛症のせいなのか、子どものころに受けた身体的虐待のせいなのか、わたしの夢はトコトン痛覚があって、結構痛い。
夢だから結構グロイ。
視覚からと痛覚からと二重にわたしを痛めつける内容が多い。
これも、慣れてしまっているせいで、何とかクリアしてしまう。
どんな大怪我を受けようが火で焼かれようが死なないんだなあ。
夢だから当たり前だけど。
夢だから死なない。
夢だから痛くても平気。
これは小学校高学年の頃から記憶にある。
こう表現したら変だけれど、私の人生の半分は夢で構成されているような感じ。
現実とよくごっちゃにならないと自分でも思う。
最近、集中して夢をみるようになって、夢の出来事が自分自身のリアルの過去をよく見るようになった。
それも時間軸がめちゃくちゃになっているので、夢だとわかるのだけど、明晰夢じゃなくて、夢を夢と意識していなかったら、毎晩フラッシュバックで大変なことになっている。
現実であったことを夢の演出で大げさにしたものを感覚つきで見てしまうというのは、結構きつい。
夢の中での自己分析
結構きついけれど、何故かそこで、わたしを観察してこの状況を分析してわたしを納得させるあるいは反省させる自分が登場していて、ずいぶんと過去の出来事から救われているような気がする。
現実では夢の分析などはしないけれど、夢の中でやっているみたい。
まあ、夢としての分析じゃなくて、リアルに極々近い出来事の分析だから、意味は全く違うと思うけれど。
夢分析や夢占いの類は10代で卒業したので、今は精神科のドクターの話だけに耳を傾けるようにしている。
わたしの夢は本当にグロいので言葉にするのも絵にするのも、躊躇わねばならないのだけど、時々幸せな夢を見ることもあって、それなら大々的に言葉にしても大丈夫。
幸せな夢=食べ物の夢
が多いのですよ。
なんだかね~と思っちゃいますが、これが一番幸福に感じるのだから仕方がない。
見たこともないような美しいお菓子をいただいたり、それがまた、味わったことのないような舌触りであったり、味だったりで、この夢でいただいたお菓子を再現できたならどれだけ幸せなことだろうと思っちゃいます。
遠い昔、夢の中で食べたものを再現しようと努力したこともありますが、やっぱり夢は夢、現実ではとても無理だと悟り、それ以来無理はしていません。
それでも夢の中の食べ物に現実で出会えたら、なんて幸せかと想像することはやめていません。
わたしはやっぱり眠ることが好き
ダラダラ寝が出来なくなって、ダラダラ夢見も出来なくなって痛感したのが、わたしの中での夢の立ち位置。
半分は夢の中で過ごしてきたから、その半分が少なくなるのがとても苦痛らしい。
夢って人間にとって重要なポジションにあるんだなあとも。
わたしの夢はあまり幸せな夢は多くないけれど、それでも夢を見ていたいと思う心がある。
それはちょっと不思議だけど、夢の世界には夢の世界の掟があって、たぶんそれがわたしには心地よいのだと思う。
何せ自分だけの世界だし。
夢を見ることができるから現実もがんばってみようかなという気にさせてもらえる。
現実のほうが夢以上に不可解で突拍子もなくて理解不能な出来事も時々は起きるけれど、生きていると言う実感を与えてくれるのは現実だけなのだから。
お薬で現実と向き合って、少なくともわたしの生活は大いに助かっている。
あとは、夢と現実の世界このバランスをとりながら、体と心のバランスもとりながら、上手に生きていきたいと思う。
- 作者: ミッシェルジュヴェ,Michel Jouvet,北浜邦夫
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