幸せな反抗期
普通の子どもの反抗期の話
ちょっとした機会があって普通と呼ばれる子どもの思春期の話が聞けた。
兄弟がいる場合の反抗期の話。
長女長男が、どうして下の子と自分との扱いに差があるのか!と爆発することが多いらしい。
逆の場合もある。
父親はその話を聞き毅然とした態度で謝るところはきちんと謝り、母親は涙ぽろぽろでおろおろするばかりだったという。
話を聞いていて、それに参加できない自分を遠くで眺めていた。
うらやましい。
そんな感情さえ生まれない、親との関係が普通じゃない育ち方をした子どもにとって、思春期も反抗期もない。
親が便利的にそう呼ぶことはあってもそれは本当の反抗期でもなんでもない。
だって、毎日が戦いだから。物心ついたときから戦いだから。
反抗期?鼻で笑ってしまう。
いつ死んでももおかしくない状況におかれていたら反抗期も思春期もそして子どもらしい時期もなんにもない。
なんにもないのだ。
これは大げさでもなんでもないとわたしは思う。
親から受ける虐待って?
子どもを叩いたことなど一度もないという親だって、どこかで子どもの心を殴っていることがあるかもしれない。
良かれと思っていることが、その子には猛烈な苦痛な場合もある。
子育てって、本当に怖いことだと思う。
虐待と言う言葉まで行かぬとも、あと一歩で、と言うことはよくあることだと思う。
反抗期で解消できる子どもたちは幸せなのだ。
誰が見ても虐待と呼べるものから、ちょっと観察すればわかる虐待から、専門家が見てはじめてわかる虐待から、子どもだけが感じている虐待(本人はきっとそれが虐待とは理解できていないけれど)から、少しずつ少しずつ子どもの心を押しつぶしていく虐待とはわからぬものまで、親が子に与えるものは愛情だけではない、親も知らず知らずのうちに子に苦痛を与えている可能性はあるのだ。
子育て中の親は時々、見つめなおしてほしいと思う。
これは自分にもそのまま言いたいこと。
虐待の連鎖。
わたしにとってそれはとても恐ろしいことだから。
と。
ここまで書いてみたけれど、子育ては楽しい。
やっぱり楽しい。
自分の思うように行かないから楽しい。
自分の世界を大きく変えてくれる力が子どもにはあるから楽しい。
最後まで読んでくださってありがとう。感謝します。