色々な生き方があるけれど
毎日色々なことが起きて、色々な人がいろいろなことを言っています
このところ、私は実によく眠っています。
ブログを書こうと思って、1000文字くらいは書くのですが、そのまま仕上げずに寝てしまいます。
どうも、アウトプットするよりもインプットしてしまうことのほうが多いようで、バランスを崩しています。
体調の方は、まあまあというところ。
運動不足のせいか、肩の内側とか肋骨とか、手のひらとか、妙なところが痛みます。これは線維筋痛症の症状です。
ちゃんと運動しなければなりません。
こうやって、PCのキーボードを打つだけで、指の間が痛いです。
打ち間違いも多いです。明らかに運動不足。
まずは、手のひらの運動でもはじめましょうか。
生活に必要な最低限のこと
- 食事のしたく
- 生活空間の掃除
- 洗濯
一応これは出来ているようです。
だいぶいい加減ですけど。
昨日は大なべにポトフを山ほど作りました。
三日間いただく予定です。
いい感じで二日目のポトフおいしさがにじみ出ていました。
洗濯もよほど体調がひどくなければできます。
なぜならば、洗濯機と言う優れものが私の代わりにそのほとんどをやってくれるからです。
今の世の中これは当たり前のことかもしれませんが、洗濯機が動いている間に他の事が出来ると言うのはわたしにとってはとてもありがたい。
今のわたしにとって、シングルタスクではない時間帯と言ったら洗濯の時間くらいかもしれません。
問題は掃除です。
生活空間は何とか掃除機でがんばることが出来ます。
これは線維筋痛症がひどいときに、軽い掃除機に買い換えたのが成功しています。
掃除機の重さひとつでこんなにも家事のつらさが半減するなんてと感動したものです。
ただ。
残りの場所の掃除はなかなかと出来ません。
いわゆる水場といわれるところは、それなりには出来ているのですが、我が家には開かずの間があって、そこには色々なものがしまってあります。ふしぎなことに、片付けてしまってあるはずのものがなくなるのもこの部屋です。
時々ちょっとだけ掃除しようと片づけをはじめるのが中途半端でダメみたいです。
捨てたものの存在を忘れてしまうのですよね。(はじめから記憶にないのかもしれませんが)
衣服の片付けも苦手です。
夏物冬物、季節ものの衣替えはどうしようもなくなってじゃないと出来ません。
まあ、こんな状態で何年も生活していますから、何とかなっていると言えるのでしょうが。
日常をしっかりと足を付けて歩く
いい年した人間が、いつもふわふわしているのは困ったものです。人として熟されていないというか、重みがないというか。
実は若いころから、地に足がついていないとか、まるで生きていないようだとか、死んだ魚のような目をしているとか、その手の類の言葉をよく言われました。
もちろん、こういう言葉を口に出して言う人と言うのはそんなにたくさんめぐり合っていないから、数年に一度の割合ですが。
そのせいか若いころは、ちょっとムキになって生活する=お金を稼ぐことをがんばった時期もありました。
お金=生活感 と言う風に思っていたのでしょうね。
残念ながらお金はものでしかなくて、わたしはあいかわらずふわふわしたまま。
お金もバブル期終っていたのですけど、身内に持っていかれてしまいました。
自分の甘さにつくづく嫌気が差したころです。
しっかりと大地に足を付けて生きて生きたい。
メンタルの安定と身体の安定
まとめるとこういうことだと思います。
息子の子育てを通じて学んだことです。
精神状態が少しでも良好ならば、何を行動すればいいのか問題点は何か?
と言ったことを発見しやすくなります。
これをメンタルが不調なときに思考すると、物事の本質を誤解したまま突き進んでしまうことがあります。(結果としては回り道をするだけで何とかなることも多いですが)
身体が不調なときは、行動する意欲がわきませんし実際に行動が不可能な場合もあります。
両方が不調なときには、これはもう支援者の方に助けてもらうのが一番早いです。
決定するのは自分自身ですが、そのお膳立てまでは助けていただくことが出来ます。
そこでやっと、自分の力で大地を踏みしめることが出来るのです。
人生100までと考えていますので、まだまだ時間はあります。
今からでも年を重ねていくのに遅くはありません。
少しずつでも、自分で歩いていければそれでわたしは幸せだと思います。
最後までお付き合いくださってありがとうございます。