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別名お花畑あたま。

のべらっくす【第6回】短編小説の集い サクラの散る日

何とか仕上げました。

のべらっくす【第6回】短編小説の集い、テーマは「桜の季節」

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

少しだけエロいです。そして字数500字程オーバー 。

もっと推敲したかったけど、残念。

 

サクラの散る日

 

 列車の窓から見える風景が、だんだんと緑が深くなっていく。
 雄一郎はそんな緑を目で追いながら一つ大きくため息をついた。

 彼是、十数年はたつだろう。
 学問という言い訳をこしらえて、彼は少年期を過ぎると早々に家を離れた。都会から半日はかかる田舎。その距離を言い訳にして、彼が実家に足を踏み入れることはなかった。
 出来ることならば永遠に家には戻りたくはない。
 彼の心中はそればかりだったが、今度ばかりは戻らない訳にはいかなかった。
 気丈で頑健なあの父が病で倒れたと言う連絡が入ったのだ。
 
 雄一郎は幼いころ身体が弱く、近所の子どもたちとの遊びも喧嘩も好まず、それから逃げてはいつも一人本を読んではため息をつくような子どもであった。
 父はそんな雄一郎を跡取ともあろう者が情けないと、厳しく躾けた。母は疾うに他界していたので、雄一郎にやさしい言葉をかけてくれるものは乳母のカナエ只一人。偏った暗い少年時代を彼は過ごした。
 成長して身体は父に似たのか頑丈で健康そのものとなったが、気性の方は二十五過ぎた現在でもほとんど変わっていない。争いごとが嫌いで、友人たちとも勉学の話は興が乗ればとことん付き合えるのだが、思想の違い等で起きる衝突には事が起きる前にいつの間にかその場から消え去るという有様であった。
 
 時間の経過とともに実家が近づいてくる。雄一郎は読み進めていた本を閉じると、再び窓からの緑の景色を見つめた。
 あぁ、そうか。
 山際に薄らと桃色がかった霞が目に入る。
 あれはサクラ。
 サクラ。

 まだ父もさほど厳しくなかった雄一郎の幼年時代。
 家の敷地から程ない山に、春になると美しい薄紅色の花で染め上げる大きなサクラの樹があった。花の季節、幼い雄一郎はそのサクラの樹の下で日中のほとんどを過ごしていた。何をするでもない、覚えたての文字を地面に落書きしたり、家から持ち出したまだ読めぬ文字が沢山ある本を開いたり、時には乳母に拵えて貰ったお握り持参で一日過ごすこともあった。 
 サクラの傍にいると得も言はれぬ幸福感に包まれる。
 母のいない幼い雄一郎にとって、まるでサクラが母代わりのような存在だった。人ではないサクラの樹が…。

 雄一郎にとって大切なサクラ。
 ある年を境に、そのサクラの樹は花を咲かせなくなった。

 

「雄一郎様、お帰りなさいませ。」
 記憶よりもほんの少しだけ髪の色が白くなったが、他は殆変りのないカナエが昔と変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。
 相変わらず重苦しい気配に包まれた家。覚悟を決めて足を踏み入れる。もう後戻りは出来ないだろう。自分の置かれた立場、自分の生まれた家、雄一郎はその重たい鎖から逃げることは出来なかった。

「ただいま戻りました」

 床についている、父、重蔵に顔を見せる。
「やっと戻ったか…」
 重蔵はそう話しながら、身体をゆっくりと起こす。傍に控えた看護役の使用人がいなければ、一人で起き上がるのは難しいのだろう。想像以上の父の病相に雄一郎は驚きと時の流れの残酷さを感じた。あれだけ大きく感じていた父の身体は風船が萎んだかのように小さくなっていた。
 が、声だけは往年の響きが現在も残っていて、その響きが雄一郎を苛立たせた。
「婚礼は再来月だ。相手はわしが選んでおいた、よいな。」
 雄一郎には選択権はなかった。父の言うがままに父の与えた娘と結婚することになるのだろう。それが跡継ぎとして生まれたものの性、家業を継ぎ、結婚し又家に縛られる跡継ぎを作らねばならない。決して離れる事の出来ない家の宿命。
 雄一郎は頭を下げるしかなかった。

 

 大きなため息をつきながら、雄一郎は出て行ったまま時間が止まったかのような部屋、自分の部屋で本を開いてはただただ活字を目に泳がせていた。普段のように活字はその世界へ雄一郎を導いてはくれない。
 もう想像の世界でさえ自分が自由になることはないのか…。

 窓からの景色は、遠い昔見ていた景色のままだった。あの少し離れたところに見える薄紅色の霞もそのまま。

「雄一郎様、お茶をお持ちしました」
 今では女中頭となって家を切り盛りしている乳母のカナエだ。

「カナエ、あそこに見えるあの薄紅色の樹はなんだ?」
「嫌ですよ、坊ちゃん。雄一郎坊ちゃんがお好きだった桜の樹じゃありませんか。ほら毎日のようにあの樹の下で遊んでらした。」
「え?あの桜は、もう咲かなくなったのじゃなかったか?」
「まあ、何をおっしゃっているのか、あの樹は毎年それはそれは美しい花を咲かせていますよ。ほら今年ももう直ぐ…あのように色づいて」

 勘違いだったか?
 もうサクラは咲かない。あの重たい記憶は何だったのか?

 色づいているサクラの存在がわかったからには逢いに出かけずにはいられない。家を飛び出すとサクラの樹まで歩き始めた。二〇分も歩いただろうか、子どものころにはもっと時間がかかったように思っていたのだが、存外近かったのだなあ。

 サクラは、記憶にあるまま大きく両手を広げるように薄い桃色のまだ小さな小さな蕾をたくさん付けた枝が幾重にも拡がって、大層美しい樹だった。
 樹の下まで足を進めると、そこにひとりの娘が腰掛けていた。村の娘にしては、身なりが良い。
 娘は、雄一郎に気付くと、薄く紅を差した唇を横に広げると鈴の音のような美しい声と共に会釈をしてきた。
「こんにちは。おじゃまだったかな」
「いえ、わたくしこそ、つい夢中になってしまって」
 娘は読んでいた本を閉じた。読書をする女は都会にはたくさんいたが、ここの地でそのような女に出会えるとは考えても見なかった。
 彼女はいったい幾つなんだろう。少女の様でもありもう大人の女の様でもある。ただその笑顔と声は得も言はれぬ幸福感を漂わせている。

 花が咲き、そして又花が散って往く様を見るまでの間、雄一郎とその娘は、サクラの樹の元で逢瀬を重ねた。
 はじめは普通の会話から、そして互いの好みの書物の話、趣味が似通っていることなどがわかり、そのまま二人が惹かれあっていくのに時間はかからなかった。
 互いの素性もわからぬままに、二人はサクラの樹の元で愛し合い、たとえようもない甘美な時間を過ごした。

 「あなたは、ここから見える先ずっと拡がる地に縛られてらっしゃる。わたくしは、この山に、この木々に、この桜に縛られております」

 その言葉の後、別れは訪れた。それはサクラの花との別れとほぼ同時にやってきた。サクラの花びらが、風に舞って薄紅色の絨毯になる頃。娘は突然現れなくなった。別れの言葉さえなかった。

 サクラが散るとともに消えてしまった娘。

 

 娘の言葉通り、雄一郎は家に土地にしっかりと縛り付けられている。娘との出会いで現実の事を忘れかけていたが、婚礼の準備はもう後戻りできないほど進められていた。
 はじめは娘の残した言葉をたどって、行方を捜そうとしたが、そもそもあの山の持ち主自体が不明で、父親の重蔵さえ手を投げた物件のようだった。もしかしたらこの山の持ち主の娘なのかもしれない。いずれにせよ、その所在を明らかにする手立ては皆無だった。

 時の流れるままに、雄一郎は父親が進めた娘との婚礼を進めた。
はじめて顔を合わせたその娘は、目鼻のハッキリしたそこそこの器量持ちだったがその気性は強く、まるで貴族のお姫様のような我侭放題で育てられた娘だった。
 初夜の勤めから、新婦からの誘いがあるにもかかわらず、雄一郎は彼女に見向きもしなかった。
 それが気に触ったのだろう、嫁となったユミは雄一郎に対して見下した詰るような言葉をかけるようになったのだ。それでも家のために結婚した娘、雄一郎は雄一郎なりに大切に扱った。着飾りたいと言えば、都会から裁縫師を呼んで洒落た洋服を仕立てたり、普段の着物までも西の都から仕入れた反物でこしらえたりした。
 ユミが実家から連れてきた使用人にも、家になじみやすいようにと女中頭のカナエさえも一歩引くような態度で接してくれていた。彼女にとっては、不満の言葉も出せないほどの恵まれた環境での嫁入りだったはずだ。

 父重蔵の身体は徐々に回復していった。一度は病で倒れたものの、父重蔵は己が一代で培ってきた事業を人に任せることはせず、雄一郎に対する父の命令は益々増えていき、父の事業にもお飾りとして参加することを命じられていた。もうすでに諦めてはいたものの、雄一郎の心中は何時か何処かで逃げ出すことを夢想していた。

 

 そんな頃、春の訪れを心待ちにしているのを雄一郎は気付いた。もう一度、あの娘に会えるかもしれない。そんな予感がしていたからだ。サクラの花さえ咲けばあの娘ともう一度…。

 予想通り、再び娘はあの樹の下に現れた。
 一年ぶりの再会とは思えぬほど、二人は又静かに熱く燃え上がり、ゆっくりと花の蕾が一つ一つ開くようにお互いのお互いが理解しあっている体と心で目合った。それはやはり至極の幸福感をもたらした。
 雄一郎は体調が優れないと理由を付けてはお飾りの仕事を断って逢引の時間を作り、娘は雄一郎が訪れるまでじっと樹の元で待ち続けた。薄紅色の蕾が花開き、見上げる空全体が桃色に染まる頃まで、二人は時間を惜しんで逢瀬を続けた。

 

 春になってからと言うもの、毎日のように出かけたきり帰ってきたかと思うと、何処で付けてきたのか仄かな甘い香りを漂わせている夫をユミは苦々しく思っていた。どこかで女を作っていることは確かだ。
 ユミと雄一郎との間にはまだ子は出来なかった。ユミにとってはそれはとても屈辱的なことだった。嫁に来て間もなく一年経つと言うのにまだ子も出来ないとは。
 ユミにとってその理由は明白だった。夫である雄一郎が協力的じゃないこと。ハッキリ語るならば、ユミを抱く回数があまりにも少なすぎる。時には品を作ったり、反対に酷い言葉を投げかけたりして、ユミなりに雄一郎の気を惹いてきたのだが、愛されていると言うという誰もが味わうはずのものから遠いところに自分が置いていかれているのを感じずにはいられなかった。それが、外で女を作っているとは。只の冴えない男の癖に。何と言う裏切り。


 その日ユミはこっそり雄一郎のあとを付けた。女の足では険しいはずの道でさえ、嫉妬の念に駆られたユミには然程の妨げにはならなかった。


 そしてユミは見た。
 桜の樹の元で、着乱れたままの自分の夫と見知らぬ娘が楽しげに話をしている。時には抱きあい、接吻を交わす二人。そのまま自然と目合いに運んでいく優雅にも見える二人の身体と身体の流れ。

 ユミは自分の中で何かが壊れて何かが目覚めるのを感じた。

 

 舅である重蔵にユミは泣きながら訴えた。重蔵の許しを得、子が出来るまで雄一郎を外に出さない事、この協力を得たのだった。ユミは自分の夫を軟禁したのだった。
 
 雄一郎はこれで本当に現実として鎖に縛り付けられることになった。大黒柱にくくりつけられた鎖。両の足に付けられたその鎖は部屋の中を動き回ることしか出来ない。
 性的興奮を促すと言う香を炊き込め、ユミは押し倒した雄一郎の上に跨った。何度も何度も。何回も何回も。何日も何日も。

 ユミはもう一つ重蔵に頼んだことがあった。しかし何故か認められることはなかった。それはあの桜の木を切り倒すこと。あれ以来あの女の姿を見かけることはなくなったが、目障りな桜の樹はしっかりと存在している。ユミは毎日あの桜の樹まで足を運んだ。女手では切り倒すことの出来ないその桜の樹に、ユミは五寸釘を打ち付けていった。何本も何本も、毎日毎日、ずっと。

 雄一郎に跨りながら、ユミは嬉々として桜の樹が日に日に痛んでいく様を告げた。雄一郎の苦痛で歪む顔が見たかったから。

 

 半年後、ユミは妊娠した。

 勝ち誇ったかのように甲高く笑うユミの声。
 ようやく雄一郎は本物の鎖から解き放ってもらうことが出来た。半年続いた軟禁生活の中で、彼が考えていたことは、これで男子でも生まれてくれたなら、自分はこの家から逃げ出しても構わないのではないかと言う事只一つ。その思いだけで正気を保っていたかもしれない、いや、はじめから正気の中には彼は存在していなかったかもしれない。

 その後雄一郎は、弱った足腰を奮い立たせて、ユミが痛めつけたあのサクラの樹の様子を伺いに行った。美しかったサクラの幹には無数の釘がつきたてられていた。それは雄一郎の心を砕くのに充分すぎる姿だった。雄一郎は自ら部屋に閉じこもるようになっていた。心配した女中頭のカナエがこっそりと運んでくれる、桜茶だけが彼の慰めとなっていた。

 

 冬の終わりに、ユミは無事男子を出産した。祖父になった重蔵も、跡継ぎの誕生に顔を緩ませていた。

 もちろん、雄一郎には父親としての実感などはなかった。
 可哀相な子ども。歪んだ家族の下に生まれた子。

 

 間もなく春が来ることだろう。
 あのサクラはもう美しい花を咲かせることはないかもしれない。あれだけひどい姿になってしまったのだ。私のせいだ。私の…。
 雄一郎は溢れ出る涙を拭う事も出来なかった。

 サクラ、サクラ。
あぁ、思い出した。
 あの鬼女はユミ。私の妻。記憶の奥底にあったあの重く苦しいものは鬼女と化したユミの姿。私の妻がサクラを傷つけ酷い目にあわせたのだ。もう二度と咲くことのない樹にしてしまったのだ。
 サクラはいつも私の傍にいてくれた。幼かったあの日も、傍にいてくれたのはサクラだった。薄く紅を引いた可愛らしい口元の娘。
鈴のような声で語ってくれた優しい言葉。あれはサクラだった。
 家を飛び出した私をじっと待っていてくれたサクラ。
 
 もう二度と逢う事は出来ないのだろう…。

 

 *

 列車の窓から見える風景が、だんだんと緑が深くなっていく。
 雄一郎はそんな緑を目で追いながら一つ大きくため息をついた。

  
 あぁ、そうか。
 山際に薄らと桃色がかった霞が目に入る。
 あれはサクラ。
 サクラ。

 

終   

 

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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