年を重ねると言うことをアレコレ考えてみた。
年をとると言うこと
年齢とは恐ろしいもので、当たり前なのですがあちこちが衰えていく。
ああ、時間の中で生きているんだなあと痛感するとき。
衰えを何とかしてゆっくりにさせようとか、何とか止まらないものだろうかとか、無駄な努力をしつつも、これからも生きていくのであり(いつ死ぬかもわかりませんが)将来はしわくちゃのおばあちゃんになるのだし、その姿を今から想像しておくのもちょっと楽しいかな?なんて考えています。
身体の年齢
私自身の病気、線維筋痛症。
この病気のおかげで筋肉の働きを学んだし、痛みを少しでも抑えるために筋肉の使い方を覚えていったし、今の私は昔と比べ物にならないくらいちゃんとした姿勢で立っていられるし、ちゃんとした姿勢で歩くことができる。
これは病気からもらったすごいプレゼント。
背中の筋肉、脊柱起立筋から大殿筋にかけてちゃんとした使い方を覚えられたのです。
これで猫背からも背中の痛みからも解消されましたー(背中の痛みはまだ時々ありますが)
今、覚えているのは肩の筋肉の使い方。
大胸筋から三角筋にかけての痛みがひどいのです。そこを何とかしたいし、まだまだほかの筋肉にも関連しているようで、肩の痛みは複雑です。
よい姿勢、よい筋肉の使い方は、年齢とともにやってくる老化を別の道に連れて行ってくれるかもしれません。
ちゃんとした姿勢のシャキシャキのおばあちゃんに。
そんなおばあちゃんを想像して生きていきたいなと思います。
内臓くんのお年は?
お薬の影響もあるかもだけど、食事の好みが大きいんじゃないかな。
バターたっぷりの料理や、普通に食パンをいただくときもバターてんこ盛り塗っていたと言うより乗せていたからなー。
当然、お菓子の類もバターふんだんに使ってあるものが好みだった。
これではいけないと思って、今はバター抜きの生活。
今までバターを使っていた料理はオリーブオイルに、パンには何もつけずに、お菓子もグググーッと我慢して極力食べないように。
そしたら、大変!安いお菓子の過食になってしまいました。
バターを使っていないお菓子。クッキーとかビスケットとか。
美味しいから過食するんじゃなくて食感を味わうためだけの過食。
これでは、遠い未来まで生きていけそうもありません。
過食。
なんとかならないかなー。精神科の主治医は体重をいつも気にしているようにとポイントを教えてくださったけど(だから元の体重+10キロで止まっている)何とか元に戻りたいな。
せっかくお酒もやめているのに。
まあ、アルコールは自然と飲みたくなくなったのだけど。
(キッチンで麦酒を飲みながら料理するのが好きだった人)
整形外科の主治医は、どんどん運動して、美味しいものを食べられるようにしましょう。とにこやかに言ってくださるんだけど、線維筋痛症はよくなっているんだけど内臓が!
内科のドクターからはそんなにお菓子が食べたいんならカロリーゼロのチョコレートを食べなさい!
と言われてしまいまして、一時期食べていましたがそれだけでは当然のごとく物足りなくて、夜中でもお菓子を買いに行ってしまう。
うううう自分が情けない。
摂食障害って健康に本気で問題ありだなあと、これまた痛感。
シャキシャキのおばあちゃん
先にも書いたように、わたしの将来はシャキシャキっとしたおばあちゃんで100までは生きることを目標にしてるのです。目標と言うより夢か?
そうすればまだたくさん人生を楽しめる。
今まで忘れちゃっている時間も同じようには取り戻せないけれど、また別の楽しみを味わうことが出来るかもしれない。
凹んだときは、消えたい衝動に駆られるけど、すぐにその夢を思い出して今ここにいられるように心を静めることが出来る。
5年先10年先って、まだまだしんどそうなんだけど、50年先って想像も出来ないから楽しい。この日本がどうなっているのか、世界がどう変化しているのか、考えただけでも気分はSF小説。
ASDとしてのわたし
発達障害についてはあまりしんどく考えないようにしているのです。
だってそう生まれてきているのですから大きく変えようがない。
最低限今の常識に合わせて生きられるように工夫してやっていくしかない。
過度に普通と呼ばれる人たちに合わせすぎる、真似しすぎる生き方はわたしには無理。
そんなことに自分の時間を使うより他の楽しい事に使ったほうが充実できると思うから。
子育てでは良くこのこと書いていますが、自分のこととして書くのはあまりないかなー。
こういう生き方をしていると書くと、障害を楯にして努力をしていない甘えている人間。と見られるのだけど、それも仕方がないかと思うようになりました。人からどう見られるかよりも自分がどう生きたいかの方が大切だと思うようになったから。
これも年齢のなせる業かもしれません。
精神もやっぱり時間の中で動いているんだなー。
そんなことを考えていた、今日でした。
最後まで読んでくださってありがとう。感謝。