雷句誠先生の「どうぶつの国」完結、これからゆっくりと読みます。
金色のガッシュ!!
雷句先生の作品「金色のガッシュ」には息子が小さなときから助けていただいていました。
何を?と問われると上手く言葉に出来ないのですが、ガッシュと清麿のあったかい友情とその仲間たちとの信頼。
学校に行っていなかった息子にとってまるで自分のように感じたのかもしれません。
とにかく夢中になってアニメを見ていました。
そして、原作も読むようになって息子の世界が大きく広がっていきました。
コミックを読むということは、言葉を読み取る力、単純に漢字を読む力(ふりがなついてますけど^^)絵と言葉の間の空間を読み取る力。
そういったものを養っていけたと思います。
映画でも、小説でも、コミックでも、創作物にはたとえ自閉症であっても想像力を育てそしてそれを養う力がつくと思うのです。その上自閉症特有のこだわりが加わったら、二重三重にその創作物を愛せるんじゃないかと思うのです。
息子にとって、ガッシュはそういっだた大切なものったと思います。
息を呑む展開の最中でも楽しいギャグがちゃんとついてて雷句先生の個性がとても楽しくて、中学二年生になっている今でも、時々思い出してはガッシュを読みかえしているようです。
どうぶつの国
その雷句先生の次の作品「どうぶつの国」雑誌を購入してまで楽しみにして読みました。ああ、これは雷句先生だ。と思わせるキャラクターと展開。ほぼ同時に講談社の雑誌展開された先生の作品も全部読みました。スピンオフ作品のクロカギの過去偏には苦しいくらいの涙が出ました。
生きるという意味、それを否が応でも考えさせられる。
どうぶつの国、始めは主人公が幼かったからか、守られる側のやさしさをたくさん受ける側のそういうお話だったと思います。
安心して読んでいられました。
主人公タロウザが育っていくにつれ、守る側になっていく、生きるという意味を考えなくてはいけなくなる。物語はぐいぐい読者をその世界に引き込んでいきます。苦しい、でも考えなければいけないこととして。
雷句先生の作品にまんまと引き込まれた形になりました。
先延ばししてしまいました。
最終の物語になると、もう怖くて続きが読めなくなりました。
それは息子も同じだったようです。
先が怖くて見えない。
生きていく中で、平和な?この国に住んでいても、やはり苦しみもあるし憎しみや嫉妬といった感情も生まれるし(それは生きるためとは言えませんが)右を見ても左を見てもそういった感情はあちこちにある中。
どうぶつの国の世界は自分の今の世界に置き換えて想像することはとても難しいけれど、生きていくということを考えるとフッと交差する、世界と世界。
自分の今を足元を見てしまわずにはいられない何か。
どうぶつの国、最終巻14巻
どうぶつの国、最終巻がつい先日発売になりました。
昨日やっと購入。
最終巻、たくさんのキャラクターたちがみんな笑顔で勢ぞろいしているんです。
あー雷句先生だ。と思えてしまいました。
とても素敵な表紙です。この世界をお話を読んでおくれよ、と全員が言っているようなそんな感じに受け取れてしまいます。
最終巻を楽しみにして、最初から読み返して行こうと思っています。
時間はかかるけど一つの作品が完結したときはそうやって読むのが好きなのです。
たぶん、息子も同じことをすると思うので二人でしっかりと雷句先生の世界。どうぶつの国の世界を楽しみたいと思います。
そして、先延ばしにしてしまった、生きていくということを少しでも考えられたらよいなあと思っています。
最後まで読んでくださってありがとう。感謝です。