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別名お花畑あたま。

あちらの世界に逝ってしまったふたりのこと。

 

今まで生きてきた中で、あちらの世界に行ってしまった人たちは自分の身内を含めて、そこそこの人たちがいます。

そんな中でどうしても記憶鮮明でどうしても少しも忘れることができない人が二人います。

どうしてだか、元気で生きているそのままでの映像と楽しくあちらの世界でいる姿と両方の映像が鮮明に出てきます。

それだけわたしの中で印象に残っている人たちなのでしょう。

 

ひとりは70過ぎのおじいちゃまでした。

恰幅がよくて背が高くてちょっと太り気味でしたがその大きな背中が印象的な方でした。

ピンピンころり。

このパターンそのままで亡くなったのですが、わたしが知らないうちに亡くなっていて、家族葬でみな済まされていて、その上お墓もないという、その年齢の方には珍しい形の最後だったのです。

生前、うちはそういう家訓だからとおっしゃっていたのを思い出しました。

ただ、お式というものは、残されたものたちのものなのだというのがしんみりと胸に残るお別れのないお別れでした。

ほんとに、最後はころり、でしたから、わたしの目には元気だった姿しか残っていない。

今でも、すぐそこの道をゆっくりと歩いてくる姿が見えてしまって、逝ってしまった事が信じられないのです。

先に逝かれた奥様のことを恥ずかしそうに愛しているとおっしゃっていた。

俺はもう、奥さんが迎えに来るのを待つだけ、その間楽しく生きるのが目標だ。

ともおっしゃっていた。

ほんとにそのとおりの生き方で人生を全うした方だったのだと思います。

かなり頑固者で人の話を聞かないし、かと思えばとことんまで人の気持ちを考えてくれたり、とにかくバランスの取れた方で、こういう年のとり方をしたいなあと(男性ですけど)よく思っていました。

犬が大好きでよくうちの犬(実家で飼っていた)をかわいがってくださいました。

大きな大きなおじいちゃん。

私から見たら父親の年齢なのですが、どうしてもそう表現してしまう、理想のおじいちゃん像です。

実際はお子さんがいらっしゃらないので、おじいちゃんではないのですけど…。

私の息子がまだ小さかったころ、よく一緒に遊んでくれました。

 

わたしの中の何かを癒してくれていた存在だったのかもしれません。

 

 

もうひとりは。

とても若かった人。若すぎる死。自死でした。

パート先のアルバイトの男の子で、まだ顔ににきびを作っていたその子。

仕事もよく出来て、地元ではよい大学といわれているところで学んでいて、院に行けるかどうかのことだったと思います。

本当の理由は誰にもわかりませんが。

家族にも友達にも何も言わず、自分のパソコンもデータを全部消して売り払ってから遠い場所を選んでの自死

そのときはご家族の気持ちを考えるともうどうしていいのかわからないくらい感情が混乱した覚えがあります。

もう何年か前のことなんです。

でもいまだに彼のことを思い出すと、映像と音つきでものの見事に現れてくれるのです。仕事を楽しそうにしていた彼。仕事場に行くとそこで彼が働いている気配がして時々どきりとします。

あちらの世界でも、楽しそうな笑顔しか想像できなくて、現れるビジュアルはいつも笑顔とちょっと困った顔。

たかがバイト先のパートのおばちゃんのわたし。

お互いにお勧め本などを教えてもらって読んだ記憶もあります。

その本は大切に本棚に置いてあります。

頭のできはともかく、性格はその彼のように息子が育ってくれたらいいな、と思っていました。と考えたのは、ひょっとしたら、息子が不安定だったように、彼もその不安定さを隠していたのではないか、他者からは決してのぞけない奥底に。と思えてしまいます。

 

もう逝ってしまった人たちのことを鮮明に浮かばせるのはよくないことなのかもしれませんが、一種のフラッシュバックなんでしょうね、見えてしまうのです。

匂いまでついくくるんだから、もうほんとにそのまま。

ASDの特殊な記憶のおかげなのでしょう。

 

 

白い犬とワルツを (新潮文庫)

白い犬とワルツを (新潮文庫)

 

 ここ小説がおじいちゃんと一緒に浮かぶことがあります。

 

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

 

 このミステリー小説のシリーズが好きだった彼。

私も勧められてはまってしまい買い揃えました。

 

 

 

 

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最後まで読んでくださってありがとう。感謝です。