夢と現実のはざま
わたしと夢。
夢というものの世界にはま込みすぎると、現実とのはざまが見えにくくなる時がある。
見ていた夢がそのまま残り香のようにくっついてくることがある。
それは決して幻聴や幻覚ではなく、
さわられた触感だったり、何かに刺された痛みだったり、むせるような香りだったり、目を射す光だったり、空を舞っていた心臓の音だったり、やさしく奏でられる音楽だったり。
そういった残り香たちにしばらくの間付きまとわれてしまう。
そして、それらが去る時になんともいえない物悲しい気持ちに陥ってしまう。
わたしという人間は、夢の世界を愛しすぎているのかもしれない。
一般に悪夢といわれる類の夢さえも愛おしい。
獣に内臓を喰われた時も、背中を日本刀で斬られた時も、痛みという感覚とともにわたしの中では愛しい夢となる。
誰だかわからない夢の中で触れあう人。
ほんの少ししか触れ合うことは無いのだけれど、その感覚は狂おしいほどわたしの中で拡がっていく。
夢の中ではおなじみの光景。
青いライトに照らされた舞台。
時にはそこで、白鳥の湖の黒鳥をおどっていたり、機械だけが奏でる音楽を客席で聴いていたり。
いつもはっきりと残るのは、青色のライト。
目の中でずっとずっと残っている。
何処だかわからない暗い地下の街。
外に出たくて色々ともがくのだけど、どうしても出ることが出来ない。
そのときのわたしの叫び、発せられない声が、のど元でいつまでも響く。
痛みに泣くこともある。
光の大きさに目が眩むこともある。
色々なわたしの中での感覚たちが、夢の中で遊んでいるような気分になる。
たぶんその通りなのかもしれない。
夢の中に入る時のあの感覚が好きだ。
夢の中に入っていくと、何よりも幸せな気持ちになれる。
やっぱりわたしは夢の世界に浸ることをこの上なく愛しているのだろう。
今はまだ、現実と夢を間違えることは無いけれど、いつかそういう日が来るかもしれない。
それは怖い。
愛おしいのだけれど、少し距離をとっておかねばならない。
わたしと夢とはそういう立ち位置で、夢と現実のはざまを楽しむまでにしておかねばならない。
夢と現実のはざま。
空想と呼べる範囲での密会のようなもの。
夢たちとわたしの感覚たちの密会。
きっとそんな感じだ。
この本の世界はわたしの夢の世界に少し重なるところがある。
いつか、この本の感想を書きたいな。