ファンタジー頭へようこそ!

別名お花畑あたま。

2月なのに春?ガーデニングの敵、アブラムシが今年もやってきました

もう春なのですか?春なのですね。

暦の上ではもちろん、気候的にももう「春」という気配がたっぷりします。

 

朝晩はまだまだ冷え込んだり、日中でも風の冷たさに身体が凍えそうになったりはしますが、しっかり「春」何だと思うことがらが目の前に現れました。

 

いちおう、わたしの趣味は(精神科の主治医に言われてがんばって作った趣味)ベランダガーデニング

ベランダで何種類かの植物を育てています。

 

もう三年目になるのかしら。あれ四年目か?

わたしの性格というか、こだわりというか、性質というか、一年草はさみしいので育てないようにしています。

はじめのうちは、時々一年草も育てていたのですが、今年は皆無。

 

毎年花を咲かせてくれたり、見事な緑色を楽しませてくれる植物ばかりを育てています。

 

その植物たちを観察していて「春」を実感しました。

 

 

植物の天敵「アブラムシ」が今年もやってきました

まだ二月なので安気に思っていたのですが、なんか花が大きく咲かないなあと思っていた「ウィンターコスモス」の鉢。

じっくり花芽を見ていたら…

いました大量のアブラムシ軍団。

 

花の世話をしていて、ほんとうにめげてしまうのがこれらの害虫や病気。

 

わたしは小さな虫が怖い!(虫全体が苦手ですが)

鳥肌が立つくらい怖い!

 

「アブラムシ」は手や歯ブラシ、粘着テープなどで、ひとつひとつ駆除していくのが花を痛めずにすむいい方法なのですが、とてもとてもそれをやる気にはなれません。見ているだけでも背筋が寒くなって、吐きそうになるのに…

(初年度は、根性で手で駆除するという方法も試してみたのですが、そのあとの手洗いが異常な状態になったのでもうやりません)

 

実は土を触るのも苦手なんです。

だから、花の世話をするときは薄手のゴム手袋(使い捨ての)をしっかり使います。

その手袋をしていても、アブラムシ駆除はわたしにとって大きな壁。

コワイコワイ。

 

なので、アブラムシがついているところをいっきにカットして、そのあとは殺虫剤を使用します。

がんばって、バシバシ剪定したのでアブラムシはたぶんいなくなりました。そこへ、とどめの殺虫剤を使用したので、とりあえず安心。

 

あー今年も、害虫駆除がはじまったのです。

つまりしっかり春というわけです。

 

 

なぜか世話している「えんどう豆」

毎年の害虫駆除にバンバン殺虫剤を使いたいので、「食べられる植物」は育てないことに決めていたのですが、なぜか今年は「えんどう豆が」元気に生息しています。

 

冬に、家事支援でお世話になっているヘルパーさんにいただいた「えんどう豆の種」。

良かれと思ってくださったのはわかっているのですが、心の中では涙目。

実がなるとワクワクしてうれしいことも初年度そだてた「さやえんどう」と「そら豆」でしっかり味わっているのですが、殺虫剤ををつかえないのだけはイヤ!

 

なので、冬の間、小さなポッドで発芽させてそのまま越冬…。

そんな簡単に発芽もしないだろうし、ましてやちゃんと冬越えはしないのじゃないかと思いつつも、きちんと世話(水遣りだけ)はしていましたら、立派に越冬してしまいました!それも小さなポッドで花芽までつけて…。

 

ここまで来てしまったら、ちゃんと植え返してあげて育ててあげないといけません。

急遽プランターに植え替えて、のびのびになっていたつるもきれいにしてあげました。

で、置く場所を工夫して、ちょっとだけぼっち箇所を低位置にすることにしました。これで、このえんどう豆には殺虫剤はかからずに、他の植物にはバンバンつかえます。

 

まあ、えんどう豆じたいに害虫がついてしまったらどうしようもないので、心を空白にして自力で害虫駆除するしかないのですけど…

 

たぶん、いま花が咲きはじめているので、収穫まであっという間だと思うのです。その期間だけでも、何とか虫が来ないようにと祈るしかありません。

 

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↑ えんどう豆の花。薄ピンクでとてもかわいい。 

 

 

我が家の植物たちは3才か4才 

先にも書きましたが、わたしが世話している植物はみな多年草

バラに、カランコエに、ウィンターコスモス、アリッサムハゴロモジャスミン

ローズマリーユーカリ。アイビー。

あとは室内で観葉植物。

あ、観葉植物は16才のドラセナと10才のポトス。ほとんどお世話をしていないけど、元気です。

 

何年も楽しませてくれる植物が好きみたいです。

一年でさよならだととても悲しくなるのですよね。

 

でもですねー多年草を育てるにはそれなりに根気が必要なようでして、観葉植物のように放置でも元気でいてくれるのとは違って、毎年毎年、季節季節でちゃんとお手入れをしないと元気になってくれないようです。

 

去年は根づまりしてほとんど花を咲かすことができなかった羽衣ジャスミン。

今年は、強引に根づまりを解消させて短く剪定しきって植え替えたジャスミンに蕾がたくさんついてきました。無事に開花するのを楽しみに毎日蕾に霧吹きをしています。(花を長く楽しむために、蕾に霧吹きがポイントのようです)

 

多年草で越冬もしてくれるけど、種がこぼれて落ちたところから発芽した新人君も混じったアリッサム。この冬でだいぶ元気がなくなってしまったので、そろそろ何かしらのお手入れをしてあげないといけません。

 

そしてカランコエ

 

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このお花は冬は外では越冬できません。が、二年続けてお外で越冬させています。

夜にビニールをかぶせるという簡易ビニールハウス方式です。

本来ならば全体的にこんもりまあるく仕上げたいところなのですが、なかなかうまくは行きません。 やはり寒さにやられてしまう箇所も出てきてヨレヨレのヒョロヒョロ茎になってしまって葉が落ちてしまったものもあります。

それでも、一年目に室内で管理したときは大失敗したので(普段からカーテンを閉め切っているので日光不足で半分以上お亡くなりになってしまいました)この方法で咲かせ続けようと思っています。

今年は大胆に植え替えをする予定。

 

ミニバラは去年とても見事に咲いてくれましたが、夏の後半からハダニが大発生して、大きな緑色だった葉っぱがだんだんと小ぶりになってしわしわの茶色になって、冬場には可哀相なくらいでした。

駆除もいろいろがんばったのですが、うまく行きませんでした。

そこで冬の剪定、植え替え時に大胆に水洗いしてとりあえずのハダニはすべて駆除。春に息吹く新しい芽にまた虫がつかないように、よーくよーく観察して、ひたすら駆除。

いまから意気込んでいます。

 

それにくらべて観葉植物は楽でいいです。

ポトスはほとんどなにもしないでも、自然に増えていくし、息子と同じ年のドラセナは背丈が大きくなりすぎたので、今年は挿し木で背丈を落とそうと思っています。

丈夫なのできっと成功すると思います。

 

 

こんなかんじで植物のお世話を趣味としてやっています

元来めんどくさがりなうえ、つちの感触が大嫌いなわたしにとって、良い趣味なのか、ストレスフルな趣味なのか自分でもわかりませんが、きれいな花が咲くのはうれしいし、緑の色が心地よいのは事実ですし、毎日それなりには目をかけてあげないとならないというのは日々の生活リズムに一役かっているような気がします。

 

もし手に入るのなら、カンパニュラか、ベロニカあたりを増やしてもいいかなあと思っています。青い色のお花がなくって、ちょっとさみしいので。

  

 

 

お花のことを調べたりするのは楽しいです。

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございます^^

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眠っているときに無意識で行動してしまう「睡眠時髄伴症」と夢を夢と意識できる「明晰夢」のこと

睡眠時の無意識行動について

眠りの不思議、夢の不思議。

いろいろと本を読んだり、同じ病の人(過眠症)の睡眠の話を検索し、調べてみたり、リアルの世界で深い話ができる人に、睡眠と夢のことを聞いてみたりしているのですが、気になることが一向に解決されぬまま。

 

<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)

この本を読みました。新書なのでほとんど時間をとられずに読み通すことができました。

睡眠時の無意識行動について、わかりやすい事例があげてあったので、それらについては納得したと同時に、近い将来高齢になったときのことが怖くなってしまいました。

それが、眠りについて考え出したきっかけです。

 

第1章 眠れない恐怖ー致死性家族性不眠症

第2章 睡眠中に”活動”する人々

第3章 夢と狂気

第4章 謎の睡眠病ーナルコレプシー

第5章 夢か現実か!?-レム睡眠行動障害

第6章 創作に見る<眠り>の謎

<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) ー目次ー

 

 少し煽るような目次タイトルなのですが(特に第1章)書かれていることは、しっかりとした医学的科学的な内容だと思います。(一般向けにわかりやすく書かれていますが)

現在わかっている睡眠のシステムも図や症例(少し極端な、だからわかりやすい)で紹介されています。

作者は櫻井武医学博士、覚醒を制御する脳内物質「オレキシン」を発見された方です。

 

 わたしにとって、詳しく知りたかったのが第2章と第5章。

つまり睡眠中の無意識行動。

 

第2章 睡眠中に”活動”する人々は、ノンレム睡眠(脳が休んでいる状態)時に無意識に動いてしまう状態。いわゆる夢遊病。「ノンレムパラソムニア」。

そしてわたしの症状に当てはまる睡眠中に何かを食べてしまう、「睡眠関連摂食障害」もこれにあてはまるらしい。

過食症の方は経験されたことが多いのではないでしょうか。

 

もう一つ、第5章 夢か現実か!?-レム睡眠行動障害。わたしが気になるのはこちらの方。

レム睡眠(脳が活動している状態、夢を見ている時)時の無意識行動。

<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解くによると、50代以上の高齢者の約0.3%罹患しているとのこと。

「レム睡眠行動障害」夢の内容を実際に行動してしまう。

耳慣れたところだと「寝言」「うなされ」それが高じて病的な状態になると、夢でボールを蹴ったら、実際に足を蹴り上げていて、ベッドの枠で骨折してしまった。などといったレム睡眠行動障害となるそうです。

 

少し引用させていただきます。

レム睡眠中は脊髄に向けて運動神経を麻痺させる信号が送られているわけではあるが、これは、「身体をリラックスさせて休めるため」ではなく、むしろ、脳のメンテナンスのために、睡眠中に脳を再起動する必要があり、そのときに身体が動かないようにからだを麻痺させる必要があるため、と考えた方がいい。

<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く第5章 夢か現実か P165

健康な方はここに書かれているように、レム睡眠中は「骨格筋の麻痺」の状態にあるので、寝ながら暴れるといったことはありません。

 

このレム睡眠行動障害は、第2章 睡眠中に”活動”する人々で書かれている「ノンレムパラソムニア」とはまったく違うメカニズムから起きる別の疾患とのこと、自覚症状として夢で見ている行動をそのままうつしてしまうことがあるわたしにとって、じゅうぶん混乱するきっかけとなったのです。

(自覚症状としては、寝言、歯ぎしり、泣いたり、笑ったりしてしまう程度です)


  

すいみん

        *著作者:jeronimoooooooo  *ライセンス: クリエイティブ・コモンズ 

 

睡眠外来の主治医にきいてみました 

 先日、二ヶ月に一度の睡眠外来の診察日でしたので、ふだんは日ごろの調子などをお話していたのですが、思い切って睡眠中の謎をきいてみました。

 

  • 睡眠中に無意識にものを食べてしまう (気がつくと手にパンを握り締めてベッドの中がパンくずだらけ…)
  • 睡眠中に寝言、歯ぎしりが激しい
  • 夢をよく見るせいか、夢の中の行動で感情がからだに出てしまう (泣いたり笑ったり)

ものを食べてしまうことについては、過食があるのですね。と、いかにも淡々とおっしゃり、わたしが飲んでいる薬を確認なさっていました。

 

夢について話をしているときに、わたしの夢がそのほとんどが明晰夢だと言うことをお話したら、何故か主治医、とっても興味深そうに話を促してくださって、わたしの夢が五感を伴なうこと、その五感の中に「痛み」や「物の味がわかる」こと、それが子どものときからあること、そして、わたしの解離性障害についても、あれこれたずねてくださいました。

そして、一瞬耳を疑ったのですが、

 

「体外離脱」したことはありますか?

 

と聞かれたので、その言葉の意味を考えるのに時間がかかったのですが、「ないと思います」と答えておきました。

 

どういう意味なのでしょうか????

 

睡眠科学の世界で、明晰夢や解離の症状、五感のある夢、そして体外離脱(もしかしたら離人感?のことをおっしゃられたのかも)これらの症状について研究されはじめているのでしょうか?

 

もっと詳しく主治医に聞きたいところだったのですが、上手に聞き取りをされたというだけで、それらの詳しい内容までは教えていただけませんでしたが、

 

また夢の話を聞かせてくださいとおっしゃっていたので、次回の診察のときに少しまとめてもっていこうかと思っています。

 

susumu-akashi.com

そういえば、解離性障害と睡眠時の無意識行動について、上記にリンクさせていただいたブログ記事でその共通性を知り、そのことについてもない頭で賢明に考えていたのを思い出しました。(最近のことなのに忘れすぎです><)

 

harubonbon.seesaa.net

こちらのブログでそのことにもふれていました。

 

かなり脱線してしまいました。

 

結局、睡眠時髄伴症について伺うことはできませんでした

 

自分で怖がっている、睡眠時髄伴症、その中でもレム睡眠行動障害。

何せ夢の中の行動を現実にうつしてしまうのですからたちが悪すぎです。

この病気の心配の話も、次回の診察に聞き忘れないように、夢についてのまとめにいっしょにメモしておこうと思います。

 

なんだか、今現在困っている症状があるのに、将来のことを心配するなんて贅沢と言うか、心配しすぎというか、なんと表現したらよいのでしょう。

 

いまもっている、自分の中にある空白の時間。

解離性健忘なのか、寝てしまっているのか(もし寝ていたとしたら、寝ながら行動していると言うわけで)いずれにしても、その空白の時間はわたしがわたしでなくなる時間なのです。

この感覚がもっとひどくなることを考えると、ものすごい恐怖なのです。

だから、バカみたいに認知症になったときのことを心配しているのですけど。

 

やはり、この空白の時間「健忘」について、もっとはっきりするように考えていったほうが良いのかもしれません。

 

眠っているときの行動。特に夢を見ている時の行動は怖いです。

いくら明晰夢だからと言って、自由に制御できるわけではありませんし、反対に夢だからこそできることをあえて選んで夢の中で行動してしまうこともあります。

  

夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く?

夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く?

 

 

夢に迷う脳(このタイトルとても気に入りました)

 

子どものころから、夢に逃げ込むのが好きですきさえあれば眠っていました。

眠りは究極の現実逃避だと思います。

それでも夢を見ることで、現実に生きるエネルギーを蓄えているんだと思うと(脳科学的にはもっとふさわしい言葉がありますが)このままでもいいのかなと思います 。

 

先にも書いたように、私の夢はそのほとんどが明晰夢

特別に意識しなくてもコレは夢だとはっきりわかっていて、悪夢などでつらいときは何とか逃げる展開にもっていくとか、強制的に場面チェンジをするとかで意識的に使うことはありますが、ほとんどはなすがまま、ただ単に「コレは夢だ~」という感じで、映画でも見ている気分で夢を見ています。

だからリラックスできるというか、現実では味わえないようなことを夢の中で体験できて、それが夢に逃げている感をつのらせてしまうのです。

 

明晰夢というと、ちょっとスピリチュアル系かと勘違いされそうですが、ちゃんとした睡眠時(レム睡眠)の夢の形の一つとして研究もされています。

ただ、ネットの世界や書籍などでは一つ間違うとスピリチュアルの道まっしぐらなんて感じの情報が多いですので、興味をもたれている方はじゅうぶんお気をつけください。

 

夢に迷う脳。

明晰夢も夢の中のリアル感(五感がある)も、寝ているときに無意識で動いてしまうのも、みな活動したり休んだりしている脳の問題。

ちょっと普通(健康的な人)とずれるだけで、不眠に悩まされたり、過眠症があったり。

 

睡眠医療もここ十年でとても進歩してきました。

わたしが悩んでいる睡眠時の問題など、あと数年たてばもしかしたらみな原因がつかめるかもしれません。

お薬もどんどん新しいものが開発されていますし。

 

まああまり悩まずにいて、その上で自分の症状をきちんと把握しておくのが大切なのかもしれませんね。

 

 

次回二ヵ月後、睡眠の専門医である主治医にいろいろと聞いてきます。そしたらまた夢の話を記事にしたいと思います。

もし、何かご質問やご意見ありましたら、ぜひ教えていただけるとうれしいです。

最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

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見た目ではわからない発達障害、障害者と障害児

障害の受容

子どもにしても大人にしても、発達障害というものは見た目ではわからないし、診断を受ける前とあとで、その本人に変化があるわけでもない。

ただ、「ああ、そうだったのか」と自己理解するだけ。

 

親御さんであれ、成人だったら本人であれ、障害というものをそれまでどう捉えていたかによって、発達障害の受容は変わってくるのではないかとわたしは思う。

 

わたしは、どちらかというと障害というものに大きな隔たりを感じていて、暴言を吐くならば「人ではなくなる」くらいにイメージしていた。

つまり根本からの差別をしていたわけだ。

 

障害と面とむかって対峙したのは、息子の診断を受けたとき。

診断してくださったドクターに暴言を吐いた覚えがある。

せっかくドクターが「お母さんのせいではないですよ」というセリフを言ってくれたのに。

 

それからが障害についてわたしの考えがゆっくり変わって行ったはじまりだった。

 

診断を受けた児童相談所

当時は知的に障害のない子の療育はなく、すべてが様子見だった。

あるのは二年に一度程度の発達検査/知能検査(WISCか、田中ビネーが、K-ABC)。

検査に関してはこと細やかに、数値も結果報告もいただけたのはとてもありがたかった。

親ができることといったら、自分で発達障害を学ぶことしかなかったから。

検査をしてくださった心理士さんに、おすすめの本を教えていただき、翌日には注文を出していた。(今では発達障害に関する本は山のようにあるけれど、当時は普通の書店にはまず置いていなかったから)

 

高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て 改訂版

高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て 改訂版

 
高機能自閉症・アスペルガー症候群入門―正しい理解と対応のために

高機能自閉症・アスペルガー症候群入門―正しい理解と対応のために

 

初めて発達障害について学んだ本はこの二冊。

穴の開くほど読み込んだのを覚えている。

最初に出合った本が吉田友子先生の本でほんとうによかった、進めてくださった心理士さんに感謝しなければならない。

 

ネットでも情報を集めようとあちこちさまよい歩いた。

当時はブログの形態ではなく、個人が作るHPの形に掲示板があったりしてそこで、発達障害を育てている親たちが悩みを打ち明けあったり、馬鹿話をしたりしていた。

自閉症協会やアスペエルデの会など大きな団体もあることを知ったけれど、いかんせんどれもお金がかかる。(自閉症協会は負担のかからない金額でしたが)

親の会なども地域に存在しなかったので(知的に障害のある自閉症の子の会ならあったのですけど)横の繋がりも情報も得られない。

 

ただただ、自閉症スペクトラム発達障害ということを知れば知るほど「ふつうと違って何が悪い?」という気持ちが消えずに、それが、息子の子育てにも多大な影響を与えてしまったのではと思う。それが悪いことかいいことかは別として。

 

この状態の中で、発達障害の受容は、わたしの頭の中で発達障害の症状」が自分の息子にしっかり当てはまること、だから、息子は発達障害(自閉症スペクトラム)なのだ。という図式が描けるようにまでは すすめられた。

それでも、息子が「この社会の中で生きていくことが難しい、困難である」というイメージには行き当たらず、なんとかなるさと気楽に考えていたところがある。

その理由は、わたしこそこの発達障害の症状にぴったり当てはまる。それでもここまで生きてこれたし、会社員も10年、自営業も10年やってきたのだから。と自分を基準に置いてしまっていた、のちに思い知らされるのだけど、これは大きな間違いだった。

 

「ふつうと違って何が悪い?」

発達障害というものはわたしにとっては、あまりにも普通すぎた。

自分の身の回り大人たち、つまりは親兄弟、叔父叔母、いとこたち、血縁者の中には、いま思えばあきらかに発達障害の傾向が色濃く出ている人が多すぎた。

だから、発達障害の症状一つ一つが「どこがおかしいの?」と反発せずにいられなかったのだ。

 

わたしの育った家族はりっぱな機能不全家族

それも根っこの部分では発達障害者の集まりだったから、ということもあったかもしれない。いわゆる普通の常識がない人たちだったから。(もちろんわたしを含む)

ただ、両親は(両方ともすばらしいほどの毒親)発達障害だったとしても、その凸った部分での才能を生かしてお金を稼いでいたので、お金だけには余裕があったというのが救い。

 

なんと言ったらいいのか、普通と違うことに悩むことも苦しむこともない、子ども時代を送っていた。これは大きな誤認知なのだけど、これがあったおかげでいまわたしは生きているんだと思う。もし自己肯定感がボロボロになっていたら、きっと死んでたと思うから。

 

人と違う思考、人と違ったことを好んだり、行動したり、そのおかげで、いじめられたりしたけれど、ぜんぜん平気だった。いじめる子たちを反対に上から目線で追いやっていた。鋼の心臓の持ち主だったと思う。

 

もちろんそれは子どもの時どまり。

生活圏がひろがっていくにつれ、世の中のルールや社会の常識と言うものはいやでもついてまわるので、自分の中でものすごい自身を根本からひっくり返すような変化に追いやられた。

それでも、子どものころにつちかった「人と違って何が悪い!」という芯の部分は変わらなくて、なんとかこうとか信じられないくらいの努力をして、社会になじもうとしてきた。

 

ようするにわたしは発達障害のことを「努力すれば何とかなる」と思い込んでいたのだ。

そのために何度もからだも精神も壊して医療のお世話になってきたにもかかわらず

 

息子の二次障害

診断から4年、小学校二年生だった息子が二次障害に陥った。

身体に現れたのは抜毛と夜驚症と胃腸障害。心の面に現れたのは、たぶん解離。そして、発達検査での最低数値(精神遅滞域)。

学校とのやり取りや医療機関に時間をとられ、それまではパートタイムではあったけれどフルタイムで勤務していたわたしにとって、はじめてゆっくりと息子と対峙したといっても過言じゃないと思う。

そう、やっと発達障害の障害という部分にしっかりと目を向けることが出来た

 

障害は努力や根性だけでは、社会で生きていくことができない。

 

このことに気づくことができた。

 

遅すぎた気づきだった。

息子のことももっと早くから、彼自身が苦手な部分をもっともっと手助けしていたならばと、悔やんでも悔やみきれない。

 

二次障害とはかくも恐ろしいものなのかと思い知った

 

息子の回復まで実に10年近くの月日が必要だったから。

中学の終わりに受けた発達検査・知能検査でようやくふつう域まで知能が戻った。それでも二次障害を起こす前のIQには戻ることは出来なかった。

 

現在でも、まだ完全に回復したわけではなく、やっと自分の足で歩き始めたという表現があっていると思う。

 

 

わたし自身の診断

息子のことで頭がいっぱいであったその頃、実家とのトラブルも加わり、体調も最悪な状態になって、普段から通っている内科医からうつの薬を処方されたのがきっかけで、精神科の門をたたいた。

あっという間にうつとASDの診断がおりた。

そりゃそうだ、息子以上に発達障害の症状にぴったりだったのだから。

 

自分の治療費を抑えるために、自立支援費を申請。

カウンセリングもはじめ(ラッキーなことに保険内でうけることができた、保険じゃなかったらきっとカウンセリングはうけていなかったと思う)精神障害者福祉手帳も申請。

住んでいる地域では、公共交通機関のほとんどが手帳のサービスで利用でき、息子の通院やカウンセリングを含めお金の面で本当に助かった。

仕事をほとんどしていなかったので、自由になるお金が皆無だったから。

 

はじめて手帳のサービスを利用したとき「これから障害者」と強く思った。

手帳を貰う前と後と、わたし自身が変わったわけではないけれど、手帳のサービスを受けることで福祉のお世話になる。という門をくぐったわけだ。

 

ここで、もう一度、障害というものについて深く考えることができた。

 

現在は手帳は二級、障害者年金も二級をいただいている。

家事が出来なくなったのと、時間通りに動けなくなったので、家事支援と移動支援でヘルパーさんのお世話になっている。

仕事もやめることが出来た。

 

福祉のお世話になっていなかったらどうなっていただろうと考えただけでも怖くなる。

 

身体がボロボロになって、いままで我慢しすぎていたんだということにやっと気がつく。

これもほんとうに遅すぎる。

もう少し手前で気がついていたら、あんなに無理をせずに生きられたかもしれない。

 

できないことはできないんだ。

だから障害なのだ。

 

 

息子が大きくなるにつれ、周りの目が変化していった

小さな頃は、多少おかしな行動や言動があっても、周りの人々はけっこう温かい目で見守ってくれていた。

良い例が迷子。

大型ショッピングセンターで、1秒目を離したら次の瞬間には消えている。

こういうことが多かった息子。

親が必要になったら、「お店の人に頼めばいい」というのを覚えたか、一通り自分の用事がすむと、迷子センターの呼び出しをしてもらっていた.。

それが小学校の一年生まで。

店員さんも小さな子としてやさしく接してくれていた。

 

それが、小学校も高学年のころ。もうその頃にはひとりでショッピングセンターで行方不明はなくなっていたけれど(成長したのではなくて、二次障害のせいでひとりで行動できなくなっていた)たまたま、わたしとふたりで買い物中、夢中になったわたしが悪いのだけど、息子の姿が見えなくなって、あわてて探し回ったら…

レジの横で、涙をぽろぽろ流しながら、じっとたたずんでいるどこから見ても高学年の立派な男子が。

店員さんは見て見ぬふり。というか、腫れ物を触るかのような冷たい視線。

 

あぁ、これが障害者への視線なんだ。

 

と、殴られたかのような痛みとなって感じた。

 

そして、息子が中学生になって、その卒業式で。

 

息子は支援級に在籍していましたので、支援級のクラス名(息子の学校は数字だった)で名前を呼ばれて卒業証書を受け取る。ほとんど不登校だった息子それでも何とか無事に卒業できたことにほっと胸をなでおろしてその姿を見ていた。

 

私の斜め前に座っていた卒業生の親御さんご夫婦。

ご主人が「○組ってなに?」(○組は支援級)と奥さんにたずね、

その返答が、

「障害者!」

と、はき捨てるように口から飛び出す。

 

その口調も気になったけれど、何よりも障害児じゃなくて障害者といわれたことが、胸に大きく突き刺さってしばらく苦しくて仕方がなかったのを覚えている。

 

もう障害児ではないんだ。世間の目は障害者という目で見るんだ。

子どもから大人へ。

 

障害によっては無事に生きて育つことを一つの目標にしていらっしゃる親御さんも多いでしょう。

無事に育ったら育ったで、今度は世間の「障害者」という目でむかえられる。

 

わたしも、息子が自殺をせずにここまで育ってくれて、現在では自分の将来に夢を持って取り組んでくれている。

それだけでしあわせになってしまうのですが、これから息子を待ち受けているのは、障害者という世間の目。

 

もちろん、働き方によっては障害をクローズド.にして勤めることも出来るでしょう。

でも、たぶん、息子には無理かな。現実的とは思えない。

それではどうするのか?

障害者枠で雇っていただくか、自分で何かでお金をもうけられないとならない。

それはとても難しいこと。

それでも本人は、やる気があって夢もあって、だからいまがんばっているので、親はその後押しをしてあげるだけ。

 

さいごに

息子自身は障害というものを受容しているように見えます。

ただ、世間の目を彼はまだ知りません。

そのあたりを知っていく感じていくのは本人自身が経験しないとむつかしいです。

そのときに、ちゃんとアドバイスできる障害者の先輩としてきちんとしていたいなあと思うわけなのです。

 

でも、願わくば、障害者だからという差別的な考えで苦しまずにすんでほしい。

そのためにも、発達障害の啓発、啓蒙はやっぱり大切なのだと、心から思います。

 

 

今回このような内容の記事を書くきっかけを作ってくれたのが、こちらのブログ

fumikichi2525.hatenablog.com

痛みを伴って伝わってくる何かに刺激されて、この記事を仕上げました。

ふみきちさんは、わたしと同じ発達障害者であり発達障害児を育てている母親でもある。当事者であることと育児者であることこの二面性を持って毎日を過ごしていかねばならない。素直につづられているからこそ、その思いがぐいぐい伝わってくる。

 

もうお一方の当事者。

decinormal.com

障害の受容とは一種の生まれ変わりとも考えられます。「お葬式」という表現が妙にしっくりきます。納得のいく内容です。

 

専門家の方のやさしい言葉でつづられた記事。

dicegeist.hatenablog.com

障害をなくすことよりも、「普通」になることよりも、もっともっと、その子自身、あなた自身になっていくプロセスを歩んでいけるようにと願います。 

 少し引用させていただきました。すてきな言葉です。優しい気持ちになれるし自分が自分でいていいんだ、自分は自分らしく生きてもいいんだという気持ちになります。

この記事は発達障害児を育てている親御さん宛でもあり、成人の当事者宛てでもあると感じました。

 

 

障害受容からの自由―あなたのあるがままに

障害受容からの自由―あなたのあるがままに

 

 

 

最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。 

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ADHD治療薬ストラテラ9週目~気づいた変化あれこれ

最近のわたし

ストラテラ9週目。効果が現れてきたのかこのところ少し調子が上向きでうれしい日々をおくっております。

ストラテラの量は50mg/1dayとかわらず。

 

若干の不調は、アレルギー。

顔と首筋と指の間にアトピーのような赤みと痒みが月一くらいで発生します。

いちど痒みが発生すると、夜中にぼりぼりかいちゃうので、皮膚がちょっと痛々しい状態になってしまいます。

今現在、痒みと赤みのピークが過ぎて、痛々しい状態の皮膚をしています。

今回は血が出るくらい掻き毟ることはなかったので、何とかごまかして外出も可能です。(ただしよく見ると皮膚がボロボロでしわしわでかわいそうです)

皮膚科に行かずにすませているのですが、これ以上悪化したら行こうとは思っています。

*これはストラテラを飲み始める前からの症状なので副作用ではありません。

 

その他は(筋肉の痛みと円形脱毛症はかわらずですが)なんというか自然に調子がよくて、一つ終えるのも必死だった家事もなんとなーくできちゃってます。不思議です。

やはりこれはストラテラの効果でしょうね。

 

 

ストラテラの効果と思われるわたしの変化 

 

  • なんとなく家事が出来ている。

自分にとってはこれが一番の効果なのだと思いますが、他にもちょっと変わった変化が起きています。

 

  • 味覚が変化した
  • 甘いもの過食が減った
  • 食事つくりの段取りがよみがえってきた
  • 先延ばしが少し減った

こんなところでしょうか。

自分的に注目したいのは、味覚の変化です。

 

うつになって状態がとことん悪くなってから、わたしの味覚は甘いものに異常に反応するようになってしまって、その欲望に勝てない日々を送っていたのですが、今年に入ったころから、甘いものに対しての欲がかなり減ってきたのです。

 

これは、味覚が正常に戻ってきたからのような気がしてなりません。

 

甘いものだけでなく、塩辛いものも、すっぱいものも、渋いものも、さっぱりしたものも、ちゃんとおいしく感じるのです。ちゃんと欲しくなるのです。

去年の暮れくらいまでは、お腹がすいたというか口がさみしくなると、甘いもの以外欲しいと思わなかったのです。(ちゃんと食事はとっていましたが、デザートつきで)

 

それが、最近、普通の食事だけでじゅうぶん満足するようになったのです。

 

これに伴って、甘いもの過食が減りました。

普通の食事で満たされるようになったので、甘いものを欲する回数が減ったというか、夜中に無意識で食べている状態はまだ続いているのですが、日中意識がちゃんとしているうちは、甘いものを食べだしたら止まらないという状態はほとんどなくなりました。(一日一度くらいはまだあります~><)

 

夜中の過食防止に、夕食をおなかいっぱい食べるようにしています。効き目があるかどうかただいま様子見中。

 

自分が楽だなあと思う体重から10キロほど増えてしまったわたし。

もしかして、過食がおさまれば少しは減量できるのではないかと、ちょっと期待しております。

 

 

自然に出来ているような気がする家事

 

わたしがまともに出来ていた家事は「洗濯」だけ。

食事用意もその後片付けも、掃除もちょっとした片付けも、ひどいときにはごみ出しもできていませんでした。

 

何とか生活できていたのは、家事支援のヘルパーさんと息子のおかげ。

週の半分は夕食をヘルパーさんか息子に作ってもらうか、お弁当。

片付けは息子も苦手なので、ゴミ屋敷寸前。でも、ごみ出しは息子がやってくれるのでごみの用意をすればOK。

掃除は普段使っているところだけ、何とか掃除機をかける程度。

 

できるだけ楽に掃除がしたいと、軽量型の掃除機を使用しています。(線維筋痛症で使っていた掃除気がもてなくなったので)軽い掃除機のおかげで少しは掃除できるようになりました。↓ 

 

 それが、ここ最近なんとなく気がついたらその場で家事が出来るようになっているのです。

いちいちアラーム鳴らして「どっこいしょ」の掛け声が不要になってるのです。

もちろん、苦手分野の片付けと掃除は自然には出来ていませんが、たとえば、キッチンの洗いものは、片したその場で洗えているような感じ。

息子の制服のボタン付けも、気がついたら針と糸を出してちゃんとつけてました。

 

食事も昔とほぼ同じスピードで段取りよく作ることができています。作業中アレコレ迷うことや思い出さねばならない状態に陥ることがなくなったような気がします。

 

これはすごいことだなあ~と自分で自分に感心。

 

 

ADHD治療薬コンサータストラテラ

 

同じADHD治療薬でもコンサータの効き具合とストラテラの効き具合はまったく違うものだと思います。

わたしは過眠症の治療薬としてコンサータと似たようなお薬モディオダールを飲んでいるので、コンサータを試すこともできませんが、飲んだその日からなんらかな変化が現れるコンサータ。(モディオダールも飲んだその日からしっかり効果が現れます)

現在服薬9周目でやっとなんとな~~く効果らしきものが現れたストラテラとは完全に目的の違うお薬として考えたほうがいいのかもしれませんね。

 

じわじわ効いてくるお薬と即効性のあるお薬。

どちらも自分に合う処方で服薬していくのがよいのでしょう。

 

わたしの性格としては、すぐにでもなんらかな変化がほしいところでしたが、ストラテラをゆっくりゆっくり増量していくいまの処方できっとよかったのだと思います。

 

じわじわ回復して行ってるな~と、自分で自分を観察できるのが楽しい。

 

女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)

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ハーバード式 大人のADHDパーフェクトガイド

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あとは、時間の管理がそれなりにできるようになったら最高なのですが、これはいまのところ変化はありませんね。残念。

 

 

 

harubonbon.hatenablog.com

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最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。

ストラテラに関してはこのあとも書いていきます。 

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十年前にも健忘で悩んでいたらしい…

ほとんど記憶のない女

古いブログを整理していたら、こんな記事を発見してしまいました。

 

harubonbon.seesaa.net

 

2005年11月22日のもの。

この当時は、息子の発達障害の診断を受けて2年弱くらいのころ。

診断のショックもずいぶんと落ち着いて、息子は小児喘息という病気を抱えてはいるものの、対外的には順調に成長しているころで、わたしも、フルタイムで仕事をしていましたが、精神的にも肉体的にも今よりはかなり丈夫で、特に悩みのない、すっかりのん気モードになっていた時期だったとおもいます。

 

昔のわたしは、記憶力のよさにけっこう自信を持っていましたので、「記憶」に関しての悩むなどということはないと思い込んでいました。

これ、自分自身を見つめる力が不足していたか、思い込み一直線の人生を歩んできたか、その両方か…というところだと思うのです。

ASDにありがちな思い込みですね。

 

健忘に関する悩みはここ5年くらいからだと、これまた思い込んでいました。

なので、10年前に軽い感じではありますが「健忘」について何かしらの兆候が記されていて驚きました。

そのころから、すっぽり抜け落ちる「記憶」をちゃんと意識していたんだなあと。

 

 

自分の過去を振り返ってみると

 

精神科の主治医の指導の下、自分の過去のよかったこと辛かったことを時系列に書いたことがあったのですが、そのときはじめて、自分の記憶の偏りに気がついたものと思っていました。

2歳の頃の記憶まであるのに、小学校の頃の記憶が抜け落ちていたり、成人してからの記憶もとてもいい加減なものだったり。

 

よいことも辛いことも両方とも、消え去っているのですからおかしなものです。

 

過去の記憶というものは、そのままはっきり残っているものもあれば、何らかの刺激を受けて別の形に上書きされるものも多い。(どちらかというと上書きされるほうが多いのでしょうね)だから、自分の記憶ほどあてにならないものはないのですが。

やっぱりぽっかり抜け落ちる記憶というのは気持ち悪いものです。

 

 

解離性健忘とADHDの不注意優勢型のもの忘れの違い

 

集中力がどんどんなくなって、一番困ったことは「約束事を忘れてしまう」でした。

これは、たぶんADHDによる不注意のもの忘れかと思われます。

同じような困りごととして、

  • 約束したことを忘れて他のことをしだす
  • 約束事をスケジュールで確認しているにもかかわらずダブルブッキングしてしまう
  • 約束した時間を意識しているにもかかわらず、ぎりぎりまで出かけられない
  • 約束の時間や曜日を完全に勘違いして行動してしまう

だいたいこんなところでしょうか。

 

自分ひとりで解決できることがら

  • 買い物に行って目的の品を買い忘れて帰ってきてしまう
  • 大切なものを忘れて家にとりに帰ることが多い
  • なくし物忘れ物失せ物が多い
  • 電車など方向を間違えて乗車してしまう
  • 降りる駅を間違える

こういうことは、毎日何か起こっています。

 

こういったことはADHDには多いようですね。

ASDとしての自分とはかなり向き合ってきましたが、ADHDとして捉えるのはまだまだ初心者。へ~~という発見が多いです。

 

ただ。これはあまり他者にかかわることは少ないことなので、自分の中だけで困っていることなのですが、やはり時間がすっぽりぬける「健忘」はわたしの中でどんどん大きくなっています。

 

  • 数十分から数時間記憶がない。
  • さっきまで時計の針が1時をさしていたのに気がついたら3時になっていて予定していたことが何もできなかった。
  • 病院を出たのが5時、家に帰ったのが7時。家から病院は徒歩ゆっくり歩いて20分。
  • 冷蔵庫を開けると、買った覚えのない商品がならんでいる。
  • 朝起きたらパンを片手に握り締めて寝ていた。ベッドの中はパン屑だらけ。

 

これらのことは、起きているつもりでも寝ていたり、寝ているつもりでも起きていたりだったりなのかもしれません。

 

特に、夜中に起きている異変は(主に食関係なのですが)わたしの過食が無意識下で行っていることだと思いますし、実際に過食傾向の方にはこういうことが多いと聞いています。

 

過眠症(特発性過眠症)の診断を受けている身なので、たったまま寝ていたり、歩きながら寝てしまうこともしっかりと経験があります。

だから単に寝てしまっているだけかもしれません。

 

それとも、解離性健忘なのか、解離性同一性障害なのか…

 

 

よく読ませていただいているブログサイト

いつも空が見えるから | 子どもの疲労と発達障害・睡眠障害のブログ

*こちらのブログはサブタイトル「子どもの疲労と発達障害睡眠障害」このあたりの病気や障害に関することを幅広く捉えて様々な情報を与えてくださっています。書籍(一般書から専門書まで幅広く)やニュースなどの情報を端的にわかりやすく書かれています。情報の量もその質も他に類を見ないすばらしいブログだと思います。

 

こちらの記事で、最近読んだものにこんな記事が載っていました。

 

解離性障害は脳の一部だけ眠る睡眠障害かもしれない―覚醒と夢のはざまの考察

susumu-akashi.com

作者のYUKIさんの一考察なのですが、わたしにとってはこれこそリアルと思えるほどの考察で、書いてくださったことに感謝してもしきれないくらいの思いでいます。

 

別ブログでもご紹介させていただいたのですが、こちらでも紹介させていただいて、少しでも同じような症状で悩んでらっしゃる方に届けばと思います。

 

前文を引用させていただきます。

 

最近、さまざまな本を読んでいて、漠然と気になっていたことがありました。それは、解離性障害が、ある種の睡眠障害と酷似していることでした。

 

起きている間に別人格に切り替わる解離性同一性障害と、眠るとともに別の人格のように行動するノンレムパラソムニア

 

寝入りばなに入眠時幻覚を見るナルコレプシーと、起きながら幻視を見る解離性障害

 

 

さらには睡眠不足の子どもがADHDに似る多動症状と、解離傾向の強い子どもがやはりADHDに似る反応性愛着障害

 

 

こうしたさまざまな睡眠障害と解離の共通点を探していくうちに、解離性障害とは脳の一部が眠る、ローカルスリープの睡眠障害ではないか?という着想を持ちました。

 

こうした理論が他にあるのかどうか詳しく知りませんが、冒頭に挙げた解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の柴山雅俊先生の言葉をはじめ、さまざまな専門家の文献が、そのような考えを示唆しているように思います。

 

この記事では、<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版)など幾つかの本を参照しつつ、睡眠障害として考える解離のメカニズムを、あくまで個人の推測の範囲内でまとめてみたいと思います。

 もうこの前文だけでのめりこんでしまいました。

 

気になった方、ぜひリンク先のブログ読んで見てください。

わたしと同じようにスッキリする方がいらっしゃったらうれしいことです。

 

睡眠と解離と発達障害

この三つはどこかでしっかりと繋がっているように思えてなりません。

生まれ持っての脳の性質。それぞれ別の分野で研究されてきて現在があるわけなのですが、発達障害と睡眠。解離性障害発達障害。この二つはもうすでに研究されつつあることがらです。さて、睡眠障害と解離の問題。これはいったいどうなのでしょう?どこかで研究されることを期待してしまいます。(現在もしかしたら研究されているかもしれませんし)

 

発達障害睡眠障害について書いた記事ですよろしければあわせてご覧ください。

harubonbon.seesaa.net

 

 

 

<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)
 

 

現代の不眠―24時間型社会のぐっすり眠り学 (学びやぶっく)

現代の不眠―24時間型社会のぐっすり眠り学 (学びやぶっく)

 

 

ナルコレプシーの研究―知られざる睡眠障害の謎 (Hot‐nonfiction)

ナルコレプシーの研究―知られざる睡眠障害の謎 (Hot‐nonfiction)

 

 

最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。 

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